『ついには誰もがすべてを忘れる』フェリシア・ヤップ

前日までの記憶しか持つことのできない人と一昨日までの記憶まで持つことのできる人。
この物語の世界はこの二つの人々が生きている世界で、それ以外は僕たちの世界と同じである。
前日までの記憶しかない人達は全人口の7割、残りの3割は一昨日までの記憶を持つことができる。一昨日までの記憶を持つことができるほうが有利でそれ故に格差社会が生まれている。
そしてそんな社会でも犯罪は起こる。
一人の女性の溺死死体が発見されたことから物語は始まる。
記憶することができないのでこの世界に住む人々は忘れる前に重要なことは日記に書いて保存するということをしている。
記憶を保持することができない登場人物とミステリという組み合わせは相性がいいけれども、ここまでくるとその設定に作為的なものを感じてしまい、どうでもなるんじゃないかと思ってしまうのだが、合間合間にこの世界の成り立ちというか記憶を保持できない科学的な理由と社会現象といったエピソードが挟み込まれるので、その設定に説得力を与えている。
とはいえども、前日までと一昨日までという二種類の設定がミステリとして必要だったのかといえば無くても成立すると思うのだが、その一方で、物語としてはこの設定がなければ成立しえない部分もあって、こまかく見ていくとそれぞれの要素は必然性を持って組み込まれている事がわかる。
それはそうとして、終盤の展開というのはちょっと個人的にグッと来るものがあってちょっと他人事のように思うことができなかった。
それは夫のほうが一昨日までの記憶を持っているがゆえに、前日までの記憶しか持たない妻が覚えていないせいで信じていない一昨日の出来事を信じてもらえないという苦悩の部分だった。
僕の妻は統合失調症で妄想に囚われている。その妄想が妄想であって現実ではないことを僕は知っているけれども、妻にとってはそれは現実なのだ。妻は妄想に苦しんでいるけれども、それが妄想であることを理解できない。それが妄想であるという真実を突きつければそれはそれで妻を苦しめることにつながってしまう。

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