失われるもの

テレビ番組でサーカスのことをやっていた。
「昔、いっしょに見に行ったわね」と妻がいう。
テレビに登場していたサーカスとは別のサーカスだったが、妻と一緒に見に行ったことがある。あれはまだ妻が統合失調症になる前のことだ。
サーカスに行く前に喧嘩してしまったこと。
喧嘩したのでサーカスに行くのを止めてしまったこと。
せっかく前売り券を買ったのだから行きましょうという妻に根負けして仲直りして行くことにしたこと。
雨が降っていたことも覚えている。
しかし肝心のサーカスの中身についてはそれほど覚えてはいなくて、唯一覚えているのはピエロとぬいぐるみのシマウマの演技だけだった。
それはピエロが舞台の中央にシマウマのぬいぐるみを持ってきて、そのぬいぐるみを立たせて動物使いとしての演技を見せようとする内容だった。ピエロは一生懸命にシマウマに演技をさせようとするのだがぬいぐるみなので演技などするわけもない。そんなピエロの滑稽さを見て、僕もその他の観客も笑っていたのだが、それはやがて驚きに変わった。
とつぜんぬいぐるみが歩き出すのである。歩きだしてピエロのあとをついてまわるのだ。
今だったら、そのぬいぐるみはロボットになっているんじゃないのかと思うかもしれない。しかし、仮にロボットだったとしてもサーカスにロボットは合わない気がする。
種をあかせば、そのぬいぐるみの中には犬が入っていたのだ。
なによりもその犬が演技の前半ではぬいぐるみのように身動きしないままでいたり、タイミングに合わせて歩きだしたりしたことのほうが驚きなのだが、これがもしロボットだったとしたら同じような驚きと感動を得ることができただろうかとも思う。
サーカスとロボットが合わないと感じるのはこの部分だ。シマウマ型のロボットだったとしたら多分、よくできているなあと感心するだけでそこで終わってしまうだろうと思う。
できそうもないことができた、という部分に感動が生まれると思うのだ。
そのことを思い出して「あれは驚いたねえ」と妻に話したのだが、残念なことに妻は覚えていないらしかった。
「雨が降っていたことも、サーカスが終わったあと、ピエロにサインをもらったことも覚えているけれどもサーカスの内容は覚えていないの」
二人の思い出が少しだけ失われているのは少しだけ悲しかったのだが、僕も妻も少しづつ思い出を失っていく。
最後に僕と妻の間に残る思い出はなんなのだろうか。

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