映画化されたことで復刊したハドリー・チェイスの『悪女イブ』
ハドリー・チェイスというとミッキー・スピレーンに代表される通俗ハードボイルド物を書く作家というイメージが強かったので、入手可能な時期に読むことはなかったのだけれども、大人になってヴァイオレンス主体の通俗ハードボイルド物に抵抗がなくなってきた時期になるともう入手困難になってしまっていた。
実際のところハドリー・チェイスはヴァイオレンス一辺倒でもなかったようで、読まずにいたのは惜しいことをしたと思うのだが、それはさておき、復刊したものに関しては読んでおこうと買うことにした。
ついでにいうと悪女物もあまり好きなジャンルではないけれども、これもウイリアム・アイリッシュの『暗闇へのワルツ』を読んでからは、それほど気にならなくなった。
一般的に悪女ものというと、主人公が悪女の魅力に取り憑かれて人生を転落していくという話で『悪女イブ』も同じパターンだ。ただこの物語の場合、主人公が悪女以上に駄目な人間で、そもそも他人の書いた戯曲を書いた当人が発表する前に死んでしまったので、自分が書いたと偽って作家デビューしてしまうひどい男なのである。作家デビューしてしまえばあとは自分の実力でなんとかなるだろうとうぬぼれているけれども、そもそもそんな実力など主人公にあるはずもなく、戯曲は書くことができず、かわりに小説を書いて、名前が売れているのでそれなりに読まれたけれども、実力が伴わないので人気はだんだんと下がっていく。そんな駄目人間の主人公には尽くしてくれる婚約者がいて真面目に働こうとすればなんとかなる状態であるという恵まれた状況にいながらも主人公は悪女に魅せられてしまう。
しかし読者の側からするとこの悪女にそれほどに魅力は感じさせられず、なぜ主人公がそんなにもこの悪女に夢中になってしまうのかよくわからない。物書きとしての仕事もうまくいかず、婚約者にも見放され、読む方からすると自業自得で憐れみさえも感じさせないのだが、相変わらず主人公はダメっぷりを発揮して人生を転落していく……かのようにみえたのだが、終盤、物語は一転する。なんと主人公の婚約者が事故死してしまうのである。そして主人公はどうなるのかというと、主人公には忠義を尽くしてくれる使用人がいて、彼が主人公を助けるのである。
そんなわけで主人公はハリウッドでの華々しい作家という人生は転落したけれども、忠義を尽くしてくれる使用人とともに観光客相手の船のクルージングの仕事をして糊口をしのぎ、合間に、自分の手記をしたためている。そしてこともあろうか、この手記で作家として再デビューをもくろんでいるのだ。
悪女にはまって転落したのは主人公ではなく主人公の婚約者であり、さらに悪女の方もラストは行方不明でこちらも人生を転落したことを予兆させる。結局主人公だけが助かるのだ。
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