息子と狩猟に

妻がある時、動物虐待のニュースを見て憤っていた。
何らかの事情で買うことができなくなってしまった犬を里子として引き取った人物が、実は虐待目当てで引き受けていて、引き取った犬を虐待して死なせていたというニュースだ。
妻が怒る理由もよく分かる。
しかし、その一方で、妻はゴキブリが苦手である。
苦手というよりも怖がっている。
見かけるたびに叫び声を上げて僕に退治してくれと命令する。
そのたびに僕はゴキブリを殺す。
ゴキブリに限らず、害虫を殺すたびに思うのは、命の違いということだ。
犬を虐待死させるのも、ゴキブリを殺すのも同じだろうと僕は思う。
どちらも命を奪うということには違いはない。
そんなことを妻に言うと、妻はゴキブリは違うという。
では犬は駄目でゴキブリは良いという違いはどの部分にあるのだろうか。ゴキブリは一般的には害虫とされ、害を与える生き物である。
害を与えるものであれば死なせてもよいのだろうか。
良いのであれば、それは誰が許可してくれるのだろう。
殺すのは僕だ。
しかし害虫だから殺しても良いという考えは僕にはない。
あるのは、生きていると困るから殺すという理由だけだ。
そしてそのことを正当化するつもりはまったくない。
殺生をしているという気持ちはいつもあり、嬉しいという気持ちはもちろんそこにはない。命を奪ったという気持ちだけである。
この本を読んであらためて命の違いというのもは、どこにあるというものではなく、多分、殺生をするうえで、自分自身を納得させるためだけに存在していて、非常に曖昧なものなのだろうと改めて感じた。

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