現代の人間が過去にタイムトラベルしてしまうという物語はそれはもう、たくさんある。
ただ、その中で第二次世界大戦中にタイムトラベルしてしまうという話になるとだいぶ絞られてくるのだが、それでもざっと思い浮かべるだけでも、
かわぐちかいじ『ジパング』
眉村卓『夕焼けの回転木馬』
コニー・ウィリス『ブラックアウト』
ケヴィン・アンダースン&ダグ・ビースン『臨界のパラドックス』
ジェイムズ・P・ホーガン『プロテウス・オペレーション』
柘植久慶『逆撃ダンケルク電撃戦』
高木彬光『連合艦隊ついに勝つ』
豊田有恒『パラレルワールド大戦争』
豊田有恒『タイムスリップ大戦争』
荻原浩『僕たちの戦争』
広瀬正『マイナス・ゼロ』
あたりが思い浮かぶ。
この中でさらに、自身が意図せずに過去に行ってしまうタイムスリップ型となると、
かわぐちかいじ『ジパング』
眉村卓『夕焼けの回転木馬』
柘植久慶『逆撃ダンケルク電撃戦』
高木彬光『連合艦隊ついに勝つ』
豊田有恒『タイムスリップ大戦争』
荻原浩『僕たちの戦争』
となる。
そもそも、行き着く先が第二次世界大戦中となると歴史を変えようという展開をする話が多くなる。
『ジパング』『逆撃ダンケルク電撃戦』『連合艦隊ついに勝つ』『タイムスリップ大戦争』あたりがそうで、『タイムスリップ大戦争』になると日本そのものがタイムスリップしてしまうので、否が応でも歴史を変えようとする話にならざるをえない。
『ジパング』はイージス艦まるごと過去に行くが、『逆撃ダンケルク電撃戦』『連合艦隊ついに勝つ』は個人でのタイムスリップだ。
後者の二作はどちらかといえば架空戦記に入る範疇であり、一人っきりのタイムスリップであっても積極的に過去を変えようとするのだが、架空戦記的なあつかいでない形で物語を展開をさせようとすると一人っきりのタイムスリップの場合、歴史を変えようとする方向へと向かうのは物語上難しくなる。
『終わりに見た街』でタイムスリップするのは主人公一家四人と犬一匹、そして主人公の友人親子の計六人と犬一匹だ。そして主人公一家のほうは家ごとタイムスリップしてしまう。
時代が時代だけに、主人公一家は家を放棄せざるを得ない状況に陥り、そこから先の展開は歴史を変えるなどという崇高な行為をする以前の話であり、どういうことかといえば、その時代の人々に怪しまれないようにしながら終戦までの1年2ヶ月をなんとかして生き延びるというサバイバル的な展開になっていく。もちろん、終戦を迎えた後も苦労は絶えないだろうけれども。
しかし、山田太一がこの物語で読者に対して仕掛けたのはそういったサバイバル的な展開の部分でもなく、戦時中の様子でもない。主人公とその友人は表向きは戦争を肯定しながらも内面では反戦を貫き通そうとしているのに対して、彼らの子どもたちはこの戦争を肯定し、父親達に反抗し始めるのだ。
つまり戦争を知らない世代が戦争直下の時代にタイムスリップした場合、そのままその時代に取り込まれてしまうというふうに山田太一は描いているのだ。
救いのない話どころの問題ではない。
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