世間では評判だったけれども、我が家の収納スペースのことを思うと文庫化されたら読んでみようと思っていたので読まずにいたけれども、ここに来て電子書籍化されたことで懸念事項が無くなったのでさっそく読んでみた。
作者が刑事弁護人で、自らが遭遇した事件をヒントに書いたということはさておいて、描く対象となる事件や人物に対して一定の距離感を保って淡々と語る語り口はいたずらに感情的に語られるよりも口当たりがよく、余分な要素が無いだけに描かれる出来事の異様さや奇妙さが変えって浮き立たされてくる。
どの話も二十ページ程度の短い話であり、いかにもミステリらしい謎がある話は少ないのだけれども、先入観無しで読み始めたけれども最初の「フェーナー氏」でガツンとやられた。
フェーナー氏が殺人を犯したことは読み始めてすぐにわかるし、誰を殺したのかもすぐにわかる。そして何故殺したのかもそれほど考えこまなくてもわかるのだが、ここで焦点があたるのは、フェーナー氏が奥さんのことを愛していながらも奥さんを殺すという手段を選んだのかという部分だ。物語の終わり間近になってわかるその真相にフェーナー氏の苦悩と苦しみの重さがずしりと来た。
それに比べると「エチオピアの男」は謎らしい謎などまったくないのだけれども、これまたわずか二十ページ程度の分量でありながら一人の人間の長い長い人生の物語を読んだ気分に襲われ、そして堪能した。
もっとも、ネット上では誤訳・文章の欠落の問題も上がっていて、出版社のコメントでは誤植等は電子書籍化で適宜修正を行っているとある。誤訳に関しては問題はないのだろうけれども、シーラッハ『犯罪』の誤訳というサイトを見て愕然としてしまった。
というのも、「サマータイム」に関して、「メラニー・ボーハイムは、裁判が終了した一ヶ月後、離婚した。」という最後の文章の後に原文ではまだ一段落存在していてその文章を読むと物語が一転してしまうということだったからだ。もっとも、原著は大幅な改訂・増補があったので、その際に追加された文章かもしれないが、一文追加されることで「サマータイム」という物語がこうまで一転してしまうだけのポテンシャルをもともと持ちえていたということに驚いた。
まったく、なんていうとんでもない作家なんだろう。
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