江戸時代の下町の長屋を舞台とした物語というと人情物というイメージがある。
決して楽な生活ではない中でお互いに助け合って生きていくという物語が多いような気もする。
が、実際はどうだったのであろうか。
この物語はその問いかけに対する一つの回答であり、困っている人たちが必ずしもお互いに助け合って生きていくということをするわけでもないという厳しい現実を突きつけてくる。
主人公はとある長屋に住んでいる一人の少年。少年の住む部屋の真向かいに弁蔵・正吉という父子が住んでいる。父親は少し頭の弱い、愚鈍な男で、息子の正吉はそんな父親を助けながら睦まじく生活をしている。
しかしそんな親子のことを長屋の住人たちは気に入らない。ほんの僅かな人だけが弁蔵親子のことを気にかけてくれているが、大半の住人は意地悪をする。
弁蔵は愚鈍な男だからといって、悪いことをするわけではない。愚鈍ながらも、善い行いをしようとしている。しかし、長屋の住人たちは彼のことが気に入らないのである。
登場人物の一人はこう言う。
「弁蔵は頭が弱いけれども、自分が良いと思うことをして、そして自分の思い通りに生きている。それでいて裕福ではないけれどもそれなりに生活ができている。」
しかし、長屋に住む住人たちは、分別がある分、自分の思い通りに生きることができない。
だから気に入らないのだ。
つまり、嫉妬である。
貧すれば鈍するという言葉がある。
心が貧しくなれば、行動も愚かになる。
貧しさはどこから来るのだろうか


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