さだまさしの『はかぼんさん―空蝉風土記』を読んだ時は衝撃的だった。
さだまさしが唄だけではなく語もうまいのは知っていたがそれはあくまでエッセイ的な部分においてだと思っていた。しかし、語りがうまいということはそういう限定的なうまさということではないのはよくよく考えてみればあたりまえのことで、ただ単にさだまさしの小説を読んでこなかっただけだったのだ。
とはいえども、さだまさしの他の小説はというとなんだか感動系のものが多そうで、もちろんそれは印象レベルのことだけかもしれないが、僕は物語に感動というものを求めてはいないのだ。
SNSなどではときおり、ちょっといい話とかちょっと泣ける話といったものが流れてくる。それを見るたびに、世の中の人はそんなに感動に飢えているのだろうか、そんなに涙を流したいのだろうかと思ってしまう。それは僕自身がただ単にひねくれているだけなのだろうけれども。
感動ではないけれども、心が揺さぶられる事柄であれば日常茶飯事であるし、泣けることであればこれも日常茶飯事の僕の今の人生の中では、感動して心が揺さぶられたり涙を流したりなどというのはもう十分過ぎるので必要ない。
話が少しそれてしまったが、この『ラストレター』も有り体にいえば泣けるいい話である。しかし、舞台となるのはラジオの深夜放送で、いい番組を作ろうと奮起する人たちの物語だ。そして今は深夜放送を聴くことも無くなってしまったが、中学高校のころは僕も深夜放送をよく聴いていた。奇しくも沙村広明の連載中の漫画『波よ聞いてくれ』もラジオの深夜放送を扱った漫画で、あの頃のラジオの面白さを思い出す。
社会人になってさらに歳もとってしまったので、気軽に深夜放送を聴くということはできなくなってしまったが、多分、今もラジオは面白いままなのだろう。そしてリアルタイムで聴くから面白いのである。
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