テレビ番組などで40代から老化は始まっているとか、40代から老眼は始まっているという情報に触れることがある。
僕が老眼を意識し始めたのは40代の終わりに近いころなので、老眼になるのが遅かったのかと思う反面、自覚したのがその年代であって始まったのはもっと早くからなのかもしれない。一方で、番組の中で40代から老化は始まっているということを知らされて、40代の芸能人の人たちが驚く場面があるのだが、あいにくと僕はもう50代なので驚くこともない。しかしこれが40代だったころに知らされていたとしたら驚いたかもしれないので、世の中には知らないほうがいい情報というものもあるものだと思う。
いや、これに関しては知っておいたほうがいい情報かもしれなし、40代というのは不惑の歳なので、この程度のことで驚いたりするほうが間違っているのかもしれない。
断捨離というものがある。
モノに対する執着心を捨てるということが本来の目的のようだが、断捨離をして色々なものを捨てるという人は多いが、情報を捨てるという断捨離をする人は見かけたことがない。
もっともそれは僕が情報を扱う仕事をしているせいで、情報を断捨離する人との接点がないせいもあるのだろうけれども、少なくとも僕自身は断捨離ができない人間であることは確かだと思う。
それともいつの日か情報にも飽きてしまう日がくるのだろうか。
コメント
こんばんは。はじめまして。
足跡から時々ブログを拝見しています。
同じ年代なのかな?共感すること多いです。
奥様を支える日常、しなければならない愛情と義務感。
私も身障者の両親を抱えていますのでお察しします。
そして現在は私も鬱的疾患があり支えてくれる旦那様と重ねながら
日々の文章が切なく響きます。
お互いにボチボチと無理をせずに過ごせて行けたらいいですね (*^-^*)
ふらりんさん、コメントありがとうございます。
ふらりんさんもいろいろとご苦労がおありだったのですね。
私の拙くて理屈っぽい文章に共感してくださってありがたく思います。
支えるということは日常生活の一部なので無理せず、あるがままに生きていくことができたらありがたいですね。
「断捨離」で一言。
感情の断捨離もできることはご存じでしょうか。
少し訓練は必要ですが、イメージとして扱っていきます。
三次元にいると、波動が荒くて生きづらいと感じます。
私達は薬を飲むと、手にして当然のギフトが手に入らなくなります。
kiyokoさん、コメントありがとうございます。
感情の断捨離というものもあるのですね。
確かに負の感情は捨てたいものですね。ただ、負の感情も時として自分自身の向上のために役に立つ場合もあるので、どういうタイミングで捨てればいいのか悩みますね
色々なものの捨て時がわからないという点で、そもそも私には断捨離は無理のような気もします。