物語の中と現実との時間の差

売れなければ続きを出すことができないというのは商売としては当然のことだけれども、書籍の場合、特にシリーズ物の場合、物語半ばにて中断してしまうというのは読者としては残念で仕方がない。これが買ってもいない本であればまだしも、続きが楽しみで買っているシリーズならば当然の気持ちだろう。
このシリーズも最終巻手前で打ち切りとなってしまったのだが、作者は何らかの形で最後の物語を世に出すと言ってくれていたのでその日が来ることを待つことにしたが、思わぬ形でこの最後の物語を読むことができた。読者の声が出版社に届いたのか、版元が最終巻を出すことを決定してくれたのだ。
とはいっても最後の物語はどういうものなのかおおよそはわかっている。主人公の別離で終わった前巻の後の話といえば再会である。
単純に再会の話であれば前巻の最後に数年後のエピローグとして再会のエピソードを書くという方法でもよかったかも知れないが、作者はそこに物理的な時間を追加しようとした。
つまり読者自身も別離から物理的に数ヶ月の別れ離れになった時間を体験した後で、再会の物語を読むことである。
文章を読む速度と物語の中で流れている時間を一致させた小説というと筒井康隆の『虚人たち』と清涼院流水の『秘密室ボン』などがあるけれども、この物語もある意味それと似たようなことを行おうとしたともいえる。
少々都合の良すぎる、というかうまく行き過ぎた展開のような感じもするけれども、それも含めて主人公達が出会った結果の行末だとすれば、最後に主人公たちが言う、出会えてよかったという言葉は、まさしくそのとおりで、登場人物たちが勝手にそう思っているだけではなく、読者もそう実感することのできた物語であり、エピローグにつながる物理的な時間が必要だったというのはまさしくこのことでもあった。

コメント

  1. ino より:

    今晩は。上がった名前の作品は、読んではいないのですが、物語と現実…この時間の差について、よく考えることがあります。というのは、私は引きこもりではないのですが、あまり普段深く人と接する機会が少なく、映画やドラマばかり観て一喜一憂していることが多いからです。この問題は、自分自身のメンタルの不安定さからくる理由が挙げらるのですが、最近特に悩んでいる問題であります。

  2. Takeman より:

    inoさん、コメントありがとうございます。
    >映画やドラマばかり観て一喜一憂していることが多いからです。
    うまくは言えないのですが、物語の持つ力というものがあると思います。
    それは何故、人が物語を作ったのかという理由の一つであり、多分、物語というものが必要だったからだと思うのです。
    なので、物語に触れることによっても人は少しずつ成長していくものだと思います。

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