雲田はるこの『昭和元禄落語心中』10巻という区切りの良い巻数できれいに終わった。
しかし、その構成はというと少し変則的で、1巻では刑務所帰りの元チンピラが落語家に弟子入りするという展開で、その展開からすればこの元チンピラが主人公の物語のように見える、実際に主人公としてのキャラとしても立っているのでそう感じるのだが、2巻になると、師匠の過去の話に移る。もっともここまでならばそんなに変わった構成でもないのだが、この過去編というのが5巻まで続き、結構長い。そしてそれ以降再び時代が戻り、1巻の続きの展開になるのだが、誰が主人公なのか、いやこの物語が誰の物語なのかといえば師匠である有楽亭八雲の物語なのだ。
9巻の終わりでやけどを負った有楽亭八雲は一命を取り留めるのだが、落語ができるだけの体力も気力もない状態。自分の代で落語を終わらせる、落語と心中するつもりでいながらも、未練を残してしまう。それは、それまで頑なに弟子をとることを拒んでいた有楽亭八雲が最後の最後に弟子入りを認めてしまったという落語に対する未練であり、同時に、それでも落語は次の世代に続いていくという希望でもある。
三代目助六を名乗りながらも、結局は九代目有楽亭八雲を名乗ることになった主人公の師という存在に対する考え方が心地よかった。
師とは追い越すものではなく、別々の道を同じ方向を見て少し後ろを歩いて行く。
同じ方向を見ることができさえすればそれでいいのだ。
そしてそれは師だけではなく夫婦にも同じことがいえるのだろうと思っている。
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