幻の女

ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』の新訳が出た。
妻と喧嘩して家を飛び出してしまった主人公が夜遅く家に戻ってみると、家で待っていたのは数人の警察官と妻の遺体だった。主人公がでかけている間に妻は何者かに殺されていたのだ。
そして妻の首には主人公のネクタイがきつく結ばれていた。全ての情況証拠は主人公が犯人であるということを指している。主人公のアリバイを証明してくれるのは、主人公がでかけた先でたまたま知り合い、一緒に食事をし劇場に行った名も知らぬ女性だけだ。
というのが発端で、そして物語は少しずつそこに入る日付が少なくなっていく死刑執行○○日前という章題とともに進んでいく。
僕がこの物語を読んだのは中学生のころで、一読してこの物語、そしてウィリアム・アイリッシュの魅力に取りつかれてしまった。
しかし、『幻の女』の魅力はこれだけではない。物語の冒頭の一文がこれまたすばらしいのだ。

夜は若く、彼も若かった。が、夜の気分は甘いのに、彼の気分は苦かった。

僕が読んだ版では上記のように訳されている。その後、1997年に何度目かの再販がかかったときに、

夜は若く、彼も若かったが、夜の気分は甘いのに、彼の気分は苦かった。

というふうに同じ翻訳者によって手直しされた。こちらのほうがより原文の持つ意味に忠実だということだったのだが、僕は再販された時にこのような修正がかかっていたことなど知らなかったので、僕にとっての『幻の女』の出だしの一文は、

夜は若く、彼も若かった。が、夜の気分は甘いのに、彼の気分は苦かった。

のほうがずっとしっくりと来ている。
で、今回別の翻訳者によっての新訳が出ることとなった。
数年前くらいから『幻の女』を再読してみたいと思っていて、電子書籍化されたのならば読もうと思っていただけに、今回の新訳は渡りに船だった。
と、同時に、この出だしの一文がどのように訳されているのか、期待と同時に不安もあった。結果としてはこの部分に関しては全く同じ文章であり、それは訳者あとがきでも理由について触れられていて、これ以外の言葉で訳しようがない文章である以上、そのまま使うのが正解だよなあと思う反面、ならば、今回あらためて新訳する必要があったのだろうかという疑問もあった。
ただし、これに関しては旧訳を一度読み返してみないとなんとも言えない。
1942年台初頭という時代の雰囲気を出すのに旧訳の古びた表現の方がいいのではないかという気持ちもあるけれども、古すぎてしまって雰囲気を味わうのを阻害している部分もあるかもしれない。
ただ、改めて読みなおしてみて感じたのはやはり、初読のインパクトは大きいけれども、再読すると『幻の女』は一段落ちるなということで、やはりウールリッチ、個人的にはウィリアム・アイリッシュよりもコーネル・ウールリッチの方がしっくり来るので、こちらの名前で呼ぶことにするが、ウールリッチであれば他の作品のほうが再読に耐えるのではないかと思うのだ。
窮地に陥った主人公を助ける友人の友情とか、捜査が進むにつれて主人公の潔白を証明することのできる人物が次々と謎の死をとげていくあたり、終盤のどんでん返しなどは素晴らしいのだけれども。

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