タツキ

日影丈吉の短編集を少しずつ読んでいる。
内容もさることながら、文章が心地よい。
普段、僕が使わない言い回しや表現がそこらかしこに点在し、その言葉遣いが僕にとっては新鮮であり、それでいて趣が感じられる文章なのだ。

日が暮れると町が目を醒ます……カラクリ、花火、アセチレンガスの火、あやめ団子の行灯、目に映るもの尽く心を惹き、気にかかる。甘美な欲望と好奇心が、引かれて行く母の手を通して満されようとする期待……私はもう再び手に入らなくなったものを、飽かずに反芻するのだった。

そもそも、日影丈吉自身が明治41年生まれと昔の人なので、使われる言葉遣いが現代の言葉と違っているのは当然である。日影丈吉が作家として主に活動していた時期が1950年代から1960年台だったことを思うとなお一層、それも当たり前なのだと感じる。しかし、文章が古びてはいないのである。
物語の中で描かれている時代は書かれた時代の様相を書き記しているのであるから時代を感じさせる。しかし、文章そのものは時代を感じさせはしないのだ。
僕もこういう文章を書くことができればいいなと思うと同時に、今のままでは逆立ちしても書けはしないだろうと思うと、ページをめくる手が止まってしまう。
少し話はそれるが、僕が好んで使う言葉に「生計」という言葉がある。しかしこの言葉、僕は「セイケイ」とは読まない。「タツキ」と読んでいる。
プログラムを書くことを生計(タツキ)としている。
というふうに使っている。
どこでこの言葉を覚えたのかは忘れてしまったのだが、このタツキという音感の響きが気に入っているので使っている。
しかし、ネットで調べてみるとこの言葉、方言の一種で広く使われている読み方ではないらしい。
すこしがっかりもしたのだがこの間、僕が敬愛している人物もこのタツキという読み方をしていたことを知り、少しだけ嬉しくなったのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました