日本国内でのてんかんの患者数は約100万人といわれている。
いっぽうで、統合失調症の患者数は約70万人。ただしこの数は治療を受けている患者の数であって、そもそも統合失調症というのは治療に結びつけることが困難な病気であるため、なにも治療も受けていない患者数を含めると、この数はもっと多くなる。
統合失調症の発症率は100人に1人といわれている。それを考えると100万人程度いてもおかしくはなく、てんかんと同じくらいの患者数がいる病気でもあるということだ。
「救い」という記事で、理解されにくい病気であるということを書いた。
がしかし、よくよく考えてみると、普段から統合失調症の人と接することをしていない人に対して、理解してもらうということそのものが無茶な要望だろうと思う。
統合失調症という病気は当事者だけではなく、当事者を支える家族も精神的に消耗していってしまう。
症状が悪化している時にはコミュニケーションを取ることすら困難になることもある。
統合失調症の症状でよくある症状の一つ被害妄想を、日常生活の中で受け止めるというのはひどく消耗する。
誰かに見張られている、後を付けられている、あるいは盗聴されいている、自分の噂をされている。
そういったことを、周りに誰も居ないのに、見えない誰かに向かって会話をし続ける。誰も居ないけれども、すぐそばに誰かが居るのである。
誰も居ないのに突然笑い出す。この笑いは思い出し笑いではない。思い出し笑いとは明らかに異なる笑いである。
たとえば、テーブルの上にりんごとナイフが置いてある。
この状況見て、誰かがナイフを使ってりんごを切ろうとしていると考えるのは一般的な理解の仕方だが、誰かが毒りんごで自分を殺そうとしている、あるいはナイフで自分を殺そうとしている。そんなふうに考えてしまうのが被害妄想だ。何が引き金になるかはわからない。どんなことでも被害妄想のきっかけとなる。
日常の中でこういった相手の行動を受け止めるのはとても難しい。
しかし、こういった症状は急性期の症状である。
うまく治療に結びついて、急性期の症状が落ち着いてくと、今度は休息期、回復期がやってくる。
この時期に入ると、今までできたことができなくなる。
薬の副作用もその原因の一つだが、集中力が衰え、意欲もなくなり、疲れやすくなる。だから眠ることが大切になる。
家族からすると、急性期の症状が無くなったことで、病気は治ったのだと思ってしまいがちになる。急性期の症状がなくなるというのはそれまでの日常生活を激的に変化させる。しかし、それまでできたと思っていたことが急にできなくなり、病気が治ったのに疲れやすくなったり、集中力がなくなったりといった状況に混乱する。
時としてそれが甘えているだけなんじゃないかと思ってしまったりもする。
それは子供に戻るといったほうが近いかもしれない。比喩としてではなく文字通り、言動も行動も出来ることも子供に戻るのだ。それは現象としては人生を子供からやり直すという感覚に近いものがある。少し前まで、ふつうの大人だった人間が、子供に戻ってしまうというのはそれを受け止める方も辛いし、受け止めるのには時間がかかる。
だからこういった状況を、実際に接したことのない人に理解してもらいたいというのは無茶なことなのだと思う。
コメント
笑われても良いので、こちら沖縄から
気分がすぐれるよう祈ってみますね。奥様の口から「沖縄」と話題がでたら届いていると思います。負けないで!
kiyokoさん、お心遣いありがとうございます。
きっと妻にも届いていると思います。少なくとも私には届きました。
妻が統合失調症に罹るまでは、統合失調症のことなんて、ほとんど知らなかった。急性期の病状を目の当たりにして、どうしていいのかわからなかったし、どうやって治療に結びつけたらいいのかもわからなかった。幸い、姉が看護師をしていたので、姉の協力と判断のおかげで、妻を病院に連れていくことができた。
絶望、喪失、疲弊、消耗…。この病気を患う者の家族だけが理解できる(決してその経験をしたいとは思わないが)感情、Takemanさんのブログには共感できるものがたくさんあるし、少し勇気をもらっていると思います。(うまく書けないけど、お互い、伴侶が少しでも回復していくことを願っています)
統合失調症という病気があることを知っていて、それがどういう症状なのかを知っていても、実際に身近な家族がそうなってしまうと、知識と現実を結びつけるのは難しいですよね。私もそうでした。
>少し勇気をもらっていると思います。
私の方も、同じ境遇の人のブログからいろいろなものをもらっています。