アイデアソンとかハッカソンというものがあるが、どうにもこの言葉が好きになることが出来ない。
ソンという言葉の響きがなんとなく好きになれないというのが理由の一つだが、かつての日産自動車のブランド名でもあったダットサンが最初はダットソンだったが、ソンが損に通じるということでサンに変えたというのと同じ感覚かもしれない。
日本語で物を考えるなんてグローバルじゃないという人もいるかもしれないが、僕は日本語という言葉が好きだし、海外の文化を日本に取り入れるにしても翻訳という作業を入れてもいいんじゃないかと思っている。もちろん何でもかんでも日本語にすればいいというわけでもないが、なんでもかんでもカタカナにしてしまえばいいというのもどうかと思う。
では、アイデアソンをどういう風に日本語に翻訳したらいいのかと言われると、良い案は浮かばない。それにいまさら考えたところでその言葉が広く普及するわけでもないだろうから、そんなことに労力を費やしたくもない。
同様に、使いたくない言葉の一つに「気づき」とか「学び」という言葉がある。二つあるから一つじゃないか。
気付かされたとか学んだと言えば済むのに、わざわざ連用形の名詞化という例外的な文法処理をしてしまう部分に気持ち悪さが感じられる。そもそも何に気づいたのか、何を学んだのかがわからない。学ぶことや気づくことが大切だという意見はわかるけれども、何を学んだか、何に気づいたのかのほうが大切だと思うっている僕にとって、これらの言葉は意味を伝達するための言葉として中途半端すぎて美しく感じられない。
それに比べれば、まだアイデアソンの方は文法的な気持ち悪さがないだけましなのだけれども、アイデアソンのソンってマラソンのソンから来ていることをこの間知り、どおりでこの言葉が好きになれない理由がわかった。僕はマラソンはあまり好きではないのだ。
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