泣く理由

妻は子供のように泣く。
悲しくて泣くときもあれば傷みで泣くときもある。
先日、転んだときもそうだった。
夜、一緒に歩いていて、隣にいた妻が突然視界から消えた。
月がきれいだとはしゃいでいたせいで足元の縁石に気づかずに、そのままギャグ漫画かアニメで使われてもおかしくないくらいに綺麗にバタリと倒れて転んだのだ。
倒れたまま身動きもしない妻を抱えて身体を起こしてやる。
上半身だけ起き上がり、でもそのまま地面にぺたりと座り込んだまま妻は突然泣き出した。隣に僕がいることも忘れたかのように、自分一人だけの世界で、子供のようにわんわんと泣き出した。
服についた砂利を払い、怪我をしていないか確認しつつ僕は心のなかで、どうして転びかけた妻を抱きかかえて助けることができなかったのだろうか、服を掴んで助けることができなかったのだろうか、どうして妻の隣ではなく前を歩いてあげてやらなかったのだろうか、幾通りもの後悔をしつづけていた。
後で妻に聞くと、そのとき妻は倒れる瞬間に地面についた手のあまりの傷さに、両手が折れたと思ったらしい。なので、手が痛くて泣いたわけではなく、手の骨が折れてしまったかもしれないという心の痛みに泣いたのだ。
それを聞いて僕は、そうか、妻はまだ精神的な心の痛みには弱いままで、統合失調症で自分の意志とは無関係に医療保護入院させられた時からずっと、妻の心は弱ったままなのだということに改めて気付かされてしまった。いや、そんなことにすら今まで気がついてやれなかった自分の愚かさを呪った。

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