二ヶ月ぶりくらいに新しい記事が投稿されたブログがあった。
それは僕と同じく、奥さんが統合失調症の旦那さんのブログで、なにもないときには更新はしないという方針のブログだったので、更新されないということそのものは寂しいけれども、それはそれで平穏な生活を送ることができているという印でもあった。
しかし、久しぶりに更新された記事の内容はたった一行、奥さんの訃報だった。
その後、少しづつ新しい文章が追加され、病死であったことがわかり、自死ではなかったことに少しだけ安堵する。しかし、何か慰めのコメントを書き込もうと思っても言葉が出てこない。
統合失調症の患者の死亡率というのは高い。
自死する可能性も高く、そして病気になっても病院に行きたがらないことも多く、結果、治療が遅れてしまうことも少なくない。
僕の妻はいつも、早く死にたいと言う。
妻にとっては今の苦しみから抜け出す手段は死だけなのである。
死ぬ勇気がないから自死という手段を選ばないだけであり、苦しみに追い詰められればその一線を超えてしまう可能性もある。
仕事を終えての帰り道、家に帰っても部屋が真っ暗だったらどうしようと不安になることがある。電話をかけて確認することすら恐ろしくなる。そして部屋の明かりがついていることにホッと安堵する。
心の病を抱えた人とその家族にとって、死は隣り合わせに近い存在でもある。
だから、自分の妻が亡くなったかのような悲しみに襲われた。
奥さんを亡くされた旦那さんはブログで後悔の念に駆られている。
僕は、その人にやすらぎが訪れる日が来ることを祈るしかできない。
後悔といえは、それは僕の場合もそうだ。
今、妻がどんな形で亡くなったとしても僕はずっと後悔し続けるだろう。
妻と結婚した時に、妻のことを幸せにしてあげたいとあれだけ思ったのに、それはできていない。
だが、自分自身が後悔し続けることは仕方がないと思っている。
先週買ってきたキウイフルーツを食べて、妻が美味しいと言ってくれた。
小さなしあわせを見つけて、そして積み上げていくしかできない。
コメント
お早うございます。
すべて受け入れ前に進む。私は常に自分に言い聞かせています。
コメントありがとうございます。
そうですね、私もそれができればと思っています。
でも、妻は受け入れることも前へ進むこともできません。私だけが前へ進んでも、妻は置いてきぼりになってしまいます。
なかなか難しい問題です。
希死念慮、奥さんにとっても、Takemanさんにとってもつらいと思います。
わたしの妻も退院後に「死にたい」と言ったことがあります。その時は、「死んじゃダメだ、そんなこと言ったらダメ、俺にとって○○(←妻の名前)はこの世でいちばん大事なんだから!」と言って妻に言い聞かせました。
妻は、「うん…ありがと」と言ってましたが…。
妻が統合失調症になってから、一番大事なものは、家族や愛する人の健康なんだなと、シミジミ思います。
妻を無理やり医療保護入院させた時は、自分の体が半分ちぎれたようなつらい思いをしました。今、妻を亡くしたら立ち直れない気がします。
swayさん、
>自分の体が半分ちぎれたようなつらい思いをしました。
お気持よくわかります。
支える側としてはもう少し気丈にならなければいけないと思うこともありますが、難しいですよね。
中々コメント書けず、迷いました。誤解されそうで。。
私自身が奥さまと似た苦しさで大変だったことを知っているから。
辛さから求めたのは、いや逃げたのは「神」というところ。
でも、そこでもなかったのです。苦しい肉体を脱ぐと楽になりましょう。身体に傷をつけながらも、まだ生きている自分をゆっくり振り返ることもできる今を生き続けています。
kiyokoさん、コメントありがとうございます。
苦しみや悲しみの乗り越え方というのは人それぞれ異なりますよね。
その人にあった方法が見つかるのであればそれが一番だと思います。