小学生の頃の話である。
ある日、学校が終わって家に帰ると庭に鴨の親子がいた。
父が犬の散歩にでかけた時に鴨の親子を見つけ捕まえてきたのだった。その当時飼っていた犬は秋田犬だったが、まさか犬に命令をして鴨の親子を捉えたわけではあるまい。となると犬のリードを持ったまま、父は鴨の親子を捕まえたのだとしか考えようがないが、しかしだ、犬の散歩に行く時に、鴨の親子を捕まえるための狩猟道具を持ち歩く人間などいるまい。ちなみにその当時僕達が住んでいたところは山奥の村里などではなく、田畑がある田舎とはいえ主要な道路は舗装されていて自動車もあたりまえのように通っている郊外の町だ。
今ならば父がどのような方法で鴨の親子を捕まえたのか気になるのだが、小学生だった僕の興味はそんな手段などの方ではなく、鴨の親子が庭にいるという事実の方だった。
親の方はともかくとして子供のひなの方は可愛い。自宅で板金業を営んでいた父は既にドラム缶を利用して鴨の親子のための住処を作ってあげていた。
今日から鴨の親子も我が家の家族の一員となるのだ。
次の日、学校を終えて家に帰ると、ひなが一匹いなくなっていた。母に聞くと、隙間から逃げてしまったらしい。不協和音は既にその時から鳴り響いていたのだが、ひなはまだ数匹いる。小学生の僕にはそれで充分だった。
そして次の日、家に帰ると鴨の親子はいなくなっていた。
ドラム缶で作った住処も片付けられ、母に聞くと、逃げてしまったと、僕の目をろくに見ずに言った。
一緒に過ごした期間が短かったせいか、それほど悲しくはなかったのだが、友達に自慢できなくなってしまったことは残念だった。
そんな自慢をしたいという僕のおこがましい気持ちに対して神様が罰を与えようとしたのかもしれない、その日の夕食は鶏肉だった。
いくら僕が鈍感でも、消えた鴨と夕飯で出た鶏肉との因果関係に気がつかないわけはない。困惑と、いきなりたたきつけられた命を食べるという行為の現実と、その隣で美味しそうに鶏肉を食べている父との中で硬直状態になっている僕に対して母は、いつもなら出されたものは全部食べなさいというのに対して、無理して食べることはないからと言ってくれたのだが、何の気休めにもならなかった。
今にして思えば前日のひなの失踪事件も、鴨の親子は逃げてしまったのだということを僕に納得させるための布石だったのかもしれないが、いまさらその真相を明らかにしたからといって何がどうなるというわけでもない。ただ、父も母も最後までその鶏肉が鴨の肉だとは言わなかったことだけは覚えている。
それ以来鴨の肉を食べることができなくなったのかというとそんなことはなく、鴨の肉は大好きだ。
だけれども、鴨の肉を食べるたびにこの記憶が蘇り、命を食べるということの重さを実感し直すのだ。
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