今はもう更新されない

いつも見ていたブログがある日を境に突然、更新が止まってしまう。ということはたまにある。
少しずつ更新頻度がまばらになっていき、そして更新されなくなるということもある。
後者の場合であれば、ブログを更新するというモチベーションが下がっていったのだなと想像することもできるが、前者の場合はいろいろと考えてしまうこともある。
『故人サイト』という本が出た。
サイトを更新していた人が亡くなってしまったものの、サイトそのものはそのまま残っているサイトに関していろいろと取材を重ねた本だ。
故人サイトという言葉がいいものかどうか、つまり、この言葉を定着させてもいいのかという点に関しては判断を保留しておきたいが、ここではあえてこの言葉を使うことにする。
僕が初めて故人サイトに遭遇したのは忘れもしない、2003年4月28日のことだった。そのサイトはこのブログからもリンクを張っている「八本脚の蝶」である。
それは僕にとって、ネットというものにも死が存在しているということを知らしめさせた出来事であり、衝撃的でもあった。
そのひとつ上にある「醒めてみれば空耳」「八本脚の蝶」の書き主と関係のあった方のサイトで、両者とも僕は面識などないのだが、この二つのサイトを並べて置いてあげたかったので、勝手ながらこうして二つ並べてリンクを貼ってある。
はまぞうにも故人サイトは存在する。
僕は、はまぞうの中の人ではあるけれど直接運営には関わっていない。なので、全ての故人サイトを知っているわけでもなく、僕が知っている故人サイトはたまたま僕がよく訪れていたサイトだったに過ぎない。
そういったサイトに対して何かしてあげたほうが良いのかもしれないと思うこともある。しかし、それは僕がはまぞうの中の人で、他の人よりも何かできることが少しだけ多いからそう思うだけだろうとも思う。故人を悼むという気持ちからなにかを望むのであれば、なにもしないほうがいいのかもしれない。
なので、どのブログが故人サイトなのかということはここでは書かない。
本の話に戻そう。
週末に一気に読んでしまおうと思ったのだが、この本に収録された100件を超す死と向かい合うというのは精神的にひどく消耗する作業で、それらとまともに対峙することはできなかった。
「八本脚の蝶」のこともこの本で触れられていたし、作家、殊能将之のtwitterのことも触れられていた。
読むのにこれだけ消耗してしまうのだから、書く方の労力というものはおそらくそれ以上のものだったに違いない。
もう少し時間をかけてゆっくりと読むつもりだ。

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