夢のまた先の夢


歳をとってさすがに記憶力に陰りが見え始めているけれど、記憶に関しては日記として残しておいたり、知識に関していえばネットでその都度調べるといった外部記憶に依存すればそれほど問題はない。
問題なのは論理的な思考能力のほうで、さすがに歳を取れば衰えはじめる。
そこで考えているのが、メモ書き程度の短い文章を接ぎ木的に貼り付けて配置していくことで論理的な思考の手助けとなるソフトウェアが出来ないものかということだ。
いくつかの思考パターンをテンプレート化して用意し、そのテンプレート上に文章を入力したメモを配置していくことによって考えるという行為の補助を行ってくれる仕組みだ。
断片的な思いつきの文章を配置させることでそれらが最終的に一つの、もしくはいくつかのアイデアに収束していく。そんなことができるソフトウェアである。
通勤途中に、感情をプログラミングさせるためのアイデアがふと浮かんだ。
しかし、人工知能のアイデアならば需要はあるだろうけれども、人工感情なんてものは需要がなさそうだなということでそのままにしておいたらどんなアイデアだったのかすら忘れてしまった。
しかし感情をプログラムで表現することができれば、ある文章がポジティブな感情で書かれているのかネガティブな感情で書かれているのかという判断も可能になるのではないかと思った。
文章のネガティブ・ポジティブを読み取るのではなく、感情を読み解くのである。といっても僕が思いついたものはそこまで一気にたどり着けるほどのアイデアではなかったので、そのアイデアを思い出したとしても道のりは遠い。
言葉を三つの要素で位置づけし、言葉と言葉の意味関係を空間座標的に取り扱うことで文章の意味を単純化させて解析することができるんじゃないかということを考えている。要素を三つにしたのは空間というものが縦横高さの三要素でできているからだ。
あくまでまだ断片的なアイデアにすぎないのだけれども、日本語の文章を完璧に分析させるのではなくその一部を必要な要素だけ取り出して解析させてみる。
日本語が三つの要素で位置づけさせることが可能な言語体系であるかどうかというのは疑問でもあるけれども、逆にいえば三つの要素で空間座標的に扱うことのできる言語体系を作り上げるところから始めてみてもいいと思う。それができれば、日本語の文章をその言語体系に翻訳させることでこの仕組によって日本語の文章を解析することができる。
言葉と言葉の意味の組み合わせを距離として管理することでなにかおもしろいものが見えてくるのではないかと思っている。
とりとめもないアイデアなのだけれども、漠然といろいろなことを考えている。実現させてみたい夢というよりも、その夢のまた先の夢みたいなものだ。

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