レジス・メサックの息詰まる世界

レジス・メサックの未読だった長編『窒息者の都市』をようやく読みおえた。
今は無き、牧神社という出版社からレジス・メサック全集というかたちで出た全三巻のうちの一冊だ。これでようやく翻訳されたレジス・メサックの作品全てを読んだことになる。
レジス・メサックは生前はほとんど無名で死後に再評価された作家なのだが、翻訳された三冊を読んでみると、生前は無名というか評価されなかった理由もなんとなくわかる気がする。
イヤミスという言葉がある。
数年前くらい、正確な時期は定かではないけれども、そのくらい前から後味の悪いミステリ小説を厭なミステリ、すなわち「イヤミス」と呼ぶようになった。湊かなえの『告白』あたりがその代表格だろう。もっともそれ以前から後味の悪いミステリは存在していたのだが、ミステリのなかのサブジャンル、とまではいかなくっても、一つの枠組みとして認識されるようになったのはイヤミスという言葉が定着してからだろう。
ミステリの世界において、後味の悪い物語があるのと同様に、SFの世界でも後味の悪い物語はたくさんある。そういった物語を総称してイヤSFという名前が出来るに至ってはいないけれども、仮にそういう枠組みが出来たとしたら、レジス・メサックは元祖イヤSF作家のひとりといっても構わないだろうと思う。
もっとも、『滅びの島』に収録された短編を読んでみると、レジス・メサックが後味の悪い物語ばかりを書いていたわけではないということもわかるのだが、それでも、翻訳されたこの三作の長編小説の衝撃は大きいすぎるくらいに大きい。
この物語では語り手が二人いる。
ある人物が発明した未来を覗くことができる装置を使って偶然的に5万年近い未来に行ってしまった男性が、その5万年先未来から過去に向けて電子黒板のようなもので語った物語が一つ。そしてその電子黒板に書かれた物語を未来を覗くことのできる装置でもって紙に写し取った女性が語る手記がもう一つ。
未来を覗くだけしかできない機械がなぜ1人の男性を未来へと送ってしまったのかは謎のままなのだが、一方通行の装置を使って未来の世界を描くという手段としては悪くないし、男性の語る物語に対して女性が注釈としてツッコミをいれているあたりはこれが1937年に書かれた小説なのかと感心してしまうくらいにおもしろい。
自分のいた時代に戻ることなど不可能な状況であるとこはさておいて、それほど悲観的にはならない主人公なのだが、5万年後の未来は酸素が薄くなり、地表では生活することができなくなってしまった世界であり、人々は地下に潜って生活していて、文明もいまと比べてそれほど発達している気配もない。語り手はそれほど暗くはなっていないのだが描かれている世界は決して明るくはなく未来に希望などむつ事の出来無いほど暗いので読んでいてもそれほど楽しくはない。主人公は未来の世界で仲良くなった人たちと、この明るくない世界のあちらこちらを冒険するのだが、そこで明らかになる世界の真実は明らかになればなるほど、どんよりとしてくる。というのも、これがゆっくりと滅び行く世界であればまだ終わりが見えて救いがあるのだが、レジス・メサックの描くこの世界は救いが無い上に終わりも見えないからだ。
題名にあるとおり、この世界では空気が重要で、空気を作り出さなければ窒息して死んでしまう。ではその空気はどうやって作るのかというと、酸素と窒素から作るのだが、酸素は水を分解するとして窒素の方は何を元に作るかといえば糞尿から作るのである。何かといえば糞尿が出てくるレジス・メサックの小説だけあってここでも糞尿が重要な役割を担っている。読み手としてはようやく登場したかとニンマリする部分もあるけれども、読んでいて楽しい描写ではない。見事なリサイクル社会ではあるが、この社会が僕達の理想的なリサイクル社会の完成形なのだといわれると暗鬱とした気持ちになってしまう。さらに、この未来社会においても支配階級と労働階級という構図もあり、終盤において労働者階級の解放という流れにいく素振りを見せておいてあっさりとその希望を打ち砕いてしまう展開と、物語そのものの結末は、1930年代のフランスという国がそこまでレジス・メサックに厭世的な物語を描かせるようの社会だったのだろうかと考えさせられてしまった。
『滅びの島』レジス・メサック
『半球の弔旗』レジス・メサック

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