人生の中で師と仰ぐことのできる人と出会うことができたということは僕にとって僥倖だったと思う。
師といっても弟子入りしたわけではない。しかし、学校を卒業して最初に入った会社の社長がその師にあたる人だったので、弟子入りしたといってもあながち間違いでもないのだが、師と仰いでいたのは僕の勝手な思いであって、相手側が僕のことを弟子であると思っていたのかというとそんな保証などなかった。
何故か僕は社長と一緒に仕事をする機会が多く、仕事をしていく上で大切なことをいくつも学ぶことができたので師と仰ぐようになったのだが、その一方で、一社員、特に新入社員としては社長と一緒に仕事をするというのは他の人と仕事をするよりも緊張する状況であり、学ぶ喜びと同時に胃の痛くなるような緊張感も同時に付随していた。
その会社で9年ほど働いたのち、会社の方針と自分の考えの相違で退職することとなったのだが、それでも社長を師として仰ぐ気持ちには何の変わりもなかった。今でもそうである。
それから一年ほど経ってのことだった。飲み屋でその社長とばったり出会うことがあった。
カウンター席で隣同士で座り、元気でやっているかとか、今なにをしているのかといった他愛もない会話をしているうちに、一緒に仕事をしていた頃に感じていた、師と接しているかのような感覚になってきた。
ふいに社長は僕にこういった。
お前は俺が育てた最後の弟子だ。
一方的な片思いだと思っていたのだけれども、僕がその人を師と仰いでいたのと同じように、師も僕を弟子と思っていてくれたのだった。
泣きはしなかったけれども涙がこぼれそうになった。
僕もあなたのことを師と思い続けていました、といったかどうかは覚えていない。それは少しだけ心残りでもあるが、不肖の弟子ということで勘弁してもらいたい。少しだけ師に甘えてもいいだろう。
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