メランコリイの季節


手帳は文房具に入るのかといえば入るだろう。
しかし僕は文房具が好きな割に手帳には全く興味が無い。
社会人になったばかりの最初の数年間は手帳を持ち歩いて予定などを書き込んでいた時期はあった。といってもその手帳もなにかで貰ったもので、わざわざ自分で買ったものではない。そして手帳を持ち歩くことも書き込むこともいつしか行わなくなった。
書いておかなければいけないほどの重要な予定などそれほどなかったし、あの当時は今よりも記憶力が良かったので、メモをしておく必要もなかったせいもあるし、何かのメモ代わりに手帳を使わなければいけないような事態がおいそれと起こることもなく、事前にメモを必要とする場合は手帳よりももっと書きやすいものを用意していたからだ。システム手帳というものが流行った時も、システムという言葉の響きには惹かれるものがあったけれども、実物を見て、想像していたようなシステムらしさが見当たらなかったのでかえってがっかりもした。それに、毎年変えなければいけないというのも僕にとってはめんどくさい。まだ何も書かれていないページがあるのに変えなければいけないというのはもったいない気持ちになるし、だからといって去年の手帳をいつまでも使い続けるというのも使いづらい。日付の無い手帳も存在するけれども、それでさえ残りのページ数を把握しておく必要がある。残りのページ数が少なくなったら新しい手帳を用意して二冊携帯しなければいけない。そんなことに頭を悩ますくらいならば手帳に記録しておかなくても済むような生活を送ったほうが気が楽だ。
というわけで手帳にはまるっきり縁のない生活となり、必然的に文房具のコーナーに行っても、たくさんある手帳には食指が動くこともなくなった。
とはいえ年末が近づくと文房具のコーナーには来年の手帳がこれみよがしに大量に並べられ、見たくなくても目がそこに行ってしまう。そしてその前で立ち止まって手に取り中身をパラパラと見たとしても、そこにあるのは罫線だけしかない真っ白なページの集まりで、手にとったことをきっと後悔するのだろう。
そういう想像がつくので、年末になると大量に並べられた手帳のことをと思うだけで、見てみたいという衝動は必ず起こることを理解しているだけに少しだけ憂鬱になるのだ。
レイ・ブラッドベリの小説に『メランコリイの妙薬』という題名の本がある。
手帳に関しての妙薬は残念ながら見つかっていない。だから、早く来年になって手帳ではない別の楽しい文房具が並ばないものかと思うのである。

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