紡ぎだす言葉 後


妻が参加しているSNSで妻と交流があった人が亡くなった。
義父が亡くなり続けざまに身近な人の訃報、特にSNSというネットを通じての知り合った人の訃報というのが妻にどんな影響をあたえるのかわからないのだが、亡くなられた人の代理人からSNSを通じて妻に訃報のお知らせがあった。
と同時にその代理人の方は、故人の文章を真似て妻にその人の最後のメッセージを送ってくれた。その人が亡くなる前にメッセージを送ることができたのであればこういうメッセージを書いてくれたのではないかと思わせるメッセージだった。
おそらくこの代理人の方は、故人がつながっていたすべての人に同じことをしたのだろう。
ネットというのは楽しいことも悲しいことも広く伝わる。今回のことは悲しいけれども、少し、温かい。それは送り手の優しさも伝わってくるからだろう。
僕が理想とする文章がここにある。そう、僕は優しい気持ちになることができるような言葉を紡ぎ出したい。
そんなことを考えていたら、ずっと昔に同じことを自分自身が言っていたことを思い出した。
昔、ミニコミ誌の取材を受けたことがあった。その記事はウェブ上でも今でも残っていて、今更それを見るのは気恥ずかしいものがあるけれども記憶が正しかったかどうか確かめるために読みなおしてみた。
やっぱりその中で、僕は同じことを言っていた。

自分の作ったものを見て、見た人が優しい気持ちになれるようなものを作りたい。

優しくなってもらいたいのではない。そういう気持ちになることができる手助けになればいい。多分僕が出来るのはその程度のことかもしれない。
自分自身がこんなことを言っていたことすら忘れていたが、忘れていても、その想いは自分の身となり心の一部となっていたようだ。
これだったらこの先、この思いを忘れてしまったとしても、自分の体が覚えていてくれる。
大丈夫だ。

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