ムーミンのいる国、ムーミンがいた国

2005年に翻訳されたスティーグ・ラーソンの<ミレニアム>シリーズが人気を博したあたりから北欧諸国を舞台としたミステリが翻訳されるようになった。
もちろんそれ以前にも北欧諸国のミステリは、スウェーデンの作家ペール・ヴァールとマイ・シューヴァルによる<マルティン・ベック>シリーズ、同じくスウェーデンの作家ヘニング・マンケルの<クルト・ヴァランダー>シリーズなどが翻訳されていたし、その他にも単発的に他の作品も翻訳されていた。しかしそれらはあくまで作家単位での翻訳であって、スティーグ・ラーソンの<ミレニアム>シリーズ以降となると、目ぼしいものはかたっぱしから翻訳されているような勢いでもあり、北欧ミステリブームが起こったと言っても間違いではない。
しかし、実際のところブームになったからといって北欧ミステリは面白いのかという疑問を持つ人もいるかもしれない。でも、僕が読んだ範囲においていえば北欧ミステリは確かに面白い。
では何処が面白いのかといえば、北欧諸国という、日本ではあまり知られていない国における負の部分描かれているという部分だ。イアン・ランキンというミステリ作家がいるのだが、イアン・ランキンは、ある国について詳しく知りたかったらその国のミステリを読むのが一番だ。と言っている。イアン・ランキン自身がミステリ作家であるということを差し引いても、この言葉には一概に否定できない説得力が実はある。というのはミステリというのはその国に住む人々の暗闇の部分に光をあてる物語だからだ。
最近、読んで面白かったのがジェイムズ・トンプソンが書いたフィンランドを舞台としたミステリだった。
日本では『極夜/カーモス』『凍氷』『白の迷路』と三作は翻訳されている。どれもカリ・ヴァーラ警部を主人公とした同一のシリーズなのだが、一作ごとに物語の雰囲気が異なっている。
一作目は殺人事件を扱ったごく普通の警察小説なのだが、二作目では第二次世界大戦中におけるフィンランドの英雄をめぐる戦争犯罪が、主軸となる殺人事件に追加され、三作目となるともはや警察小説ではなく、暗黒小説といってもかまわないような物語に変貌している。
ジェイムズ・トンプソンのこの<ヴァーラ警部>シリーズが他の北欧ミステリと少し異なっているのが、作者がフィンラド人ではなくフィンランド在住のアメリカ人だという点だろう。そして奥さんがフィンランド人である。つまりこのミステリはアメリカ人の目から見たフィンランドという国が描かれているということだ。そして物語の中では主人公のヴァーラ警部はフィンランド人だが、奥さんはアメリカ人と、作者と登場人物が逆転した形で描かれている。異文化の人間だからこそ見ることの出来る視点でもってフィンランドという国の暗闇を描いている。
特に三作目ではフィンランドにおける移民の問題を扱っている。フィンランドにおいても日本と同様に少子高齢化の問題を抱えていて、そして移民政策に反対する人も多く、それらは時として差別という方向へと向かっていく。他所の国の他人ごととして読むわけにもいかない問題だ。
これがムーミンを産んだ国の現在の姿でもある。
僕はトーベ・ヤンソンの小説が好きで、ムーミンの物語も小説版は全て読んだ。
小説版のムーミンの物語というのはかならずしも牧歌的としたファンタジーではなく、どこか刹那的であり自分たちのいる世界はいつ滅んでも不思議ではないというイメージすら与える物語だ。『ムーミン谷の彗星』では文字通り、ムーミン谷に彗星が衝突しようとして世界が終わるかもしれないという話だし、『ムーミン谷の夏まつり』はタイトルこそ楽しそうなのだが、ムーミン谷が水没してしまう話だ。そして『ムーミンパパ海へいく』ではムーミン一家はムーミン谷を離れ小さな島へと引っ越しをしてしまう。小説として最後に出版された『ムーミン谷の十一月』ではムーミン一家は登場せず、ムーミン谷に住む他の住人の物語りが語られるのだがそこで語られる物語はもはやムーミンの物語である必然性すら失われようとしている。ムーミン一家はムーミン谷へと帰ることなく、ムーミン谷の物語はムーミン一家の不在のままで終わってしまうのだ。
フィンランドはムーミンのいる国なのだろうかそれともムーミンがいた国なのだろうか。

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