池澤夏樹が編纂した世界文学全集1-8に収録された『やし酒飲み』がどういうわけか岩波文庫で出た。
といってもアフリカ文学に造詣が深いわけでもないのでこんな作品があったということすら知らなかったわけだが、岩波文庫というのは他の文庫本と違って表紙の方にあらすじが書いてあって、平台の上に並べられていると手に取らなくってもざっと眺めるだけでその本がどんな内容の本なのかが判るのである。
で、この本には、
死んだ自分専属のやし酒造りの名人を取り戻すために「死者の町」へ旅にでるだの、頭がい骨だけの紳士だの、親指から生まれた強力の子だのとなにやら面白そうな言葉が並べられている、しかも240ページと薄い本だ。
この本は面白いに違いないという香りがした。それに仮につまらなかったとしてもこのぐらいのページ数ならば我慢できるページ数だったこともある。
冒頭からいきなり「です・ます」と「だ・である」が混在している文章で、もちろんそれは原文の奇妙さを日本語に翻訳するための手段ではあったけれども、通常ならばやってはいけないことを堂々とやってしまっていることにどことなく背徳感を感じながらも、こんな物語を書いている人がいたということに驚いた。
もっとも母国では、アフリカの神話を繋いだだけという厳しい批評もあったらしく、いわれてみればそのとおりで、細かなエピソードのあれこれは民話的な内容というかこのまま日本に置き換えても日本の民話として通用する話もあったりする。そういう意味では土俗的な物語の根底にあるものは万国共通なのであると思わせられる。
しかし、既存の物語をつなぎあわせただけのこの物語になんの価値もないのかというとそんなことはなく、つなぎ合わせるということをしたということだけでも大きな価値がある。
強いて言えば、桃太郎と花咲かじいさんと浦島太郎とその他もろもろの民話をひとつの物語として纏めあげてしまった話といえばこの物語がどんな話なのかすこしは想像がつくかもしれない。
それでいて破綻していないのだ。もっとも、最初から破綻しているので気が付かないともいえるけれども。
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