僕の妻が統合失調症と診断され、そして医療保護入院をさせてから三年が経った。
入院期間は一ヶ月程度だったが、治ったので退院したというわけではない。入院治療をする必要がない程度に回復したというだけにすぎない。
入院中のことは闘病記としてこのブログで書いていたけれども、妻が退院してからのことはあまり書かなくなった。
それは統合失調症というのが僕にとって特別なものでは無くなったということであり、統合失調症という病を抱えながら過ごすことが僕と僕の妻の日常だからだ。
そしてそれは僕か僕の妻のどちらかが亡くなるまで続く。あくまで僕の場合は。
しかし、僕の場合はまだましで僕の妻にとってこの日常は不公平なことに僕が亡くなっても続く。
ロバート・チャールズ・ウィルスンの小説を読んだ時に少し不思議に感じたのは、彼の小説の中で自閉症、もしくはそのまま直接的に統合失調症と精神的な障害もしくは病がダイレクトに登場するということだった。そしてこの本の中でも統合失調症が登場する。
もちろんそれは物語の要請、もしくは構成上の必要事項にすぎなかっただけなのかもしれないがなんとなく違うような気がした。心の病、といってしまうと語弊があるので言い換えるが、心に何らかの不都合を抱えた人たちに関わった経験があるように思えた。
それはともかくとして、この本がSFだと思って読んだら、ダークファンタジーといったほうがよい話ばかりで少し驚いたのだが、考えてみると『時間封鎖』だけが異質で、ロバート・チャールズ・ウィルスンの本質的なものはこちらの方なのだろう。
どの話も、不思議な出来事が起こり主人公は不幸な状況に陥るのだが、不思議な現象に対してSFならではの明快な説明というのは全くされない。それよりも不思議な現象と主人公の個人的な問題とをうまく絡み合わせた部分を味わうのがこの物語の楽しみ方だろう。
二年ぐらい前ならば、この手の話を読むことが出来なかったのだが、統合失調症という病と共に暮らすようになって三年も経つとだいぶ耐性がつく。小説の中で統合失調症が登場してもそれほど動揺せずに客観的に読むことができるようになった。しかし、それでも『アブラハムの森』や『薬剤の使用に関する約定書』はずしりと来る。
前者は病を抱えた家族の立場の視点、後者は向精神薬の副作用の問題。
共に、今の自分がそのまま抱え持っている事柄なのだ。
そして、どの話も安易なハッピーエンドではないところが良い。
現実も決してハッピーエンドではないからだ。
娘さんが統合失調症のある家族の人がこう言っていたことがある。
「娘が私達の世界に入ってこようとしないので私達が娘の世界に入っていくことにしました」
この本ではどの物語においても理解不能な異質な存在が、いわゆる向こう側の存在として登場する。そしてこの物語において異質な物は存在するけれども神は不在だ。だから、登場人物のある者は向こう側へと行ってしまう。
そしてそれは大切な何かが向こう側にあるからなのだろうと思う。
僕はまだ、向こう側には行けない。
だから、神様にお願いをするしかない。
どうか、僕がこの世界で一番大切な人が苦しまないで過ごせる時間を、僕の大切な人に少しでもいいのでわけてあげてください、と。
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