SF黄金時代の黄金時代はいつなのかという話があって、1950年代だとか1960年代だとか人によって意見が別れるのだが、最終的に「SFの黄金期は12歳」ということで誰もが納得してしまうという逸話がある。もっとも12歳というのにもばらつきがあって14歳だという意見もあるのだが、だいたい12歳から14歳くらいの多感な時期がSFを読んでもっとも影響を受ける時代であるということなのだろう。
で、その黄金時代に読むのにもっとも適した小説はなんなのかという話になるとこれまた人によって様々な意見が出てくるのだろうけれども、僕はヴァン・ヴォクトの小説がもっとも適しているんじゃないかと思っている。とりあえず、僕にとってはヴァン・ヴォークトでもなくヴァン・ヴォートでもなくヴァン・ヴォクトなのでここではそう書いておく。
振り返ってみると僕自身も自分の黄金時代にヴァン・ヴォクトの小説を読んで、そしてヴァン・ヴォクトの世界に魅了されたのだ。
では、その黄金時代を過ぎてしまった後でヴァン・ヴォクトの小説はどう映るのかというと、やっぱりそれなりに楽しむことができる。ただ、それなりにであって、黄金時代の時のようにヴァン・ヴォクトの世界に身も心も騙されるというところまではいかない。
東京創元社から絶版になっていた<非A>シリーズ、<武器店>シリーズが復刊されて、今度は短編集が復刊された。
個人的にはヴォクトは短編よりも長編の方が好きなのだけれども、復刊されてしまった以上は読むしか無い。というかこの短編集、かすかに読んだ記憶はあるのだけれども、本当に読んだのか自信がない。
冒頭の「遥かなるケンタウルス」を読み始めるとなんとなく読んだという記憶が戻ってきたのだけれども、それさえもだんだんと怪しくなる。というのもこの話、主人公たち4人が人工冬眠を使ってケンタウルス星まで500年かかる旅にでかけるのだが、500年の間に地球側の技術が進歩し地球とケンタウルス星の間を数時間で移動できるようになってしまい、主人公たちがたどり着いた時にはすでに地球人たちが植民地化し主人公たちよりも遥かに進んだ世界が築きあげられていたのだ、という身も蓋もない悲しい話なのだが、記憶にあったはここまでの部分だった。
そしてここまでならばヴォクトじゃなくても書けそうな話なのだが、そこからの展開がヴォクトらしくて実に素晴らしい。未来の人類と比べると主人公たちは体臭が臭すぎるということで隔離させるあたりはまだマシな方で、その後で主人公たちは宇宙船を買い取り特殊な恒星まで行ってそこから過去へとタイム・トラベルして主人公たちが出発した直後の地球に戻るのだ。宇宙旅行に出かけたら、時間が経っていて自分たち以外のみんなが自分たちよりも進化しちゃっていてちょっとやばい状態になっちゃんたんだけれども、タイムトラベルして過去に戻って無かったことにしてめでたしめでたしという、とりあえずのハッピーエンドになっているのだが、それまでの展開を全く無意味にさせるような、それでいいのかと問い詰めたくなる結末だ。
さすがに今読むと、アイデア的に古びてしまって今更読んでも仕方がないという話もあるけれども、それでも最後に収録されている「捜索」はタイトルこそ平凡だけれども、ヴォクトしか書くことができないと思わせるハッタリと超展開の物語で、これを読むとジョン・C・ライトの『ゴールデン・エイジ』やマイクル・スワンウィックの「時の軍勢」などはヴォクトの雰囲気をなかなか良く再現しているなあと思いつつ、ジョン・C・ライトはやたらと長すぎで、マイクル・スワンウィックはちょっと生真面目に論理的すぎて、やはりヴォクトの論理的でありながらもそれをさらに超論理でもって構成しなおしているというような異常な世界までを再現するところまでは行っていないなあと思わざるをえないのだった。
『終点:大宇宙!』A.E.ヴァン・ヴォークト

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