篠田節子はもう少し集中して読まないといけないと思っている。
今のところ読んだことのあるのは、
『静かな黄昏の国』
『ロズウェルなんか知らない』
『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』
の三冊で今回が四冊目となる。
今まであまり読んで来なかったのは、篠田節子の小説があまりジャンルを意識していないというか、どの作品もSFだったりミステリだったりホラーだったりと何らかのジャンルにカテゴライズできながらも、そういったカテゴライズされた形で紹介されることが少なかったせいが多分にある。
で、今回の『家鳴り』はどちらかといえばホラー寄りの作品が多数を占めているのだが、一方で、SFとしても楽しむことのできる話もある。
巻頭の「幻の食糧危機」は、東京で未曾有の大地震が起こり、主人公の住む田舎町に、大量の難民が避難してくるという話だ。
食料を求める都会の難民と、食料を自給自足できる田舎の農家という対立の中で、主人公は数年前に都会からこの田舎町へと越してきてパン屋を経営しているという、都会の住人でもなく、かといって、完全な田舎の住人でもないどちらにも帰属しきれない立場にある。
そして、どちらにも帰属しきれない立場の視点から、「食糧」という問題が浮き彫りにされていく。
「操作手」では、介護ロボットというものが扱われる。介護する側の視点と、介護される側の視点という、これまた「幻の食糧危機」にも共通する双方の視点から介護というものが描かれる一方で、介護される側の視点が実に面白く、介護される立場である老女にとって、介護してくれる人間は金属的で固く、触れられるたびに痛みをともなう苦しみに襲われるのだ。その一方で介護ロボットに対しては、人としての優しさと、暖かさを感じ、そして彼女は介護ロボットに恋をする。そしてそれは手塚治虫の『火の鳥 復活篇』のレオナを彷彿させる。
篠田節子が一筋縄では行かないのは巻末の「青らむ空のうつろのなかに」にも言える。
母親の虐待を受け農場教育を行う施設に預けられた少年の物語なのだが、豚を飼育するという過程で、荒川弘の『銀の匙』でも扱われている、食料にするために育てるという問題がこれまた当然のごとく登場するのだが、篠田節子がこの物語で突きつけた問題は虐待を受けた少年の物語という、一筋縄ではいかない問題と相重なり、登場する人物全員が満足する結末を迎えるにもかかわらずここでたどり着いた結末は、この物語を傍観する形でしかない読者にとって素直に納得できる結末ではないのだ。
つまり、当事者と当事者でないこととの間の溝の深さを思い知らされるのである。
コメント