2015年に読んだ漫画の中で印象に残っているものをいくつか、回顧として。
ここに書かなかったものも幾つかあるけれども、それはまた別の機会に。
九井諒子『ダンジョン飯(1)(2)』
グルメ漫画の変化球でもあるけれども、ロールプレイングゲームに登場するダンジョンの生態系を合理的に描いた漫画でもある。
ファンタジーの世界の成り立ちを論理的な整合性を持って描くというのは九井諒子の過去の作品でも同じことが行われていたので、そのクオリティに関しては安心して読むことが出来るのだが、その一方で、今回は単発の話ではない。次から次へと新しい生態系を登場させていって最後まで破綻しない世界を描き遂げることができるのだろうかという一抹の不安もある。
鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼(1)』
LGBT、つまり、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの世界を扱った物語。
まだ一巻しかでておらず、先に書いたLGBTの全てが描かれるかどうかはわからない。という以前に、まだこの物語が何処へと向かっていくのかも見えては来ない。
差別のある世界を描こうとしているのか、それとも男と女という関係だけではない恋愛を描こうとしているのか、はたまた、そういうレベルの物語ではなく、救いの世界を描こうとしているのか、続きが楽しみな一冊だ。
柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活(1)(2)』
いろいろな世界が漫画として描かれるようになってきた。しかし、生活保護という世界を描く漫画が登場するとは思いもよらなかった。
現実をありのままに描こうとしつつもエンターテインメントとしての部分も描こうとしている作者の意気込みは、それによってどんな方向へと向かっていくのか、どうあがいても結論のでそうもない世界にどうやって折り合いをつけようとするのだろうか。
気軽に読むには重苦しい物語だけれども、漫画という世界の幅広さを知ることが出来る。
三浦靖冬『薄花少女(1)-(3)』
木崎ひろすけのスタイルに似ているという人がいて騙されてもいいかと思って読んでみた。
やはり木崎ひろすけとは異なるのだけれども、これはこれで良い。
主人公が子供の頃にお世話をしたばあやがある時突然若返ってしまい、再び主人公の元へと訪れて昔のようにお世話をするという話だ。しかし、物語はあってないようなもので、主人公と若返ったハッカばあやの日常が淡々と描かれる。
どことなく昭和の時代を醸し出すその世界は懐かしくそして若返ったとはいえども、それは永続的なものではないかもしれないし、いつの日か死というものによって行われる別れを常に予兆させ、それ故に物悲しい。
夏目漱石の『坊っちゃん』における坊っちゃんと清との関係を彷彿させるが、この物語の主人公は坊っちゃんほど破天荒でもなく正義感でもない。
志村貴子『淡島百景(1)』
すでに評価の高い志村貴子なので僕がどうのこうの語っても意味が無いが、実を言うと僕にとってはこれが初の志村貴子の漫画だ。
小原愼司『地球戦争』全5巻
H・G・ウェルズの『宇宙戦争』をどういうふうに描き直すのかということで、もう少し描いて欲しかった気もするが、五巻という適度な分量できれいに収束させた。
松浦だるま『累(1)-(7)』
表紙のカラー絵とは裏腹にどこか懐かしさを感じさせる絵柄。絵としての完成度が高く、それでいて物語の流れを阻害させたりはしない。
流れるように読み進めていく事ができる反面、そこで描かれている物語は簡単に流し読みできるような軽い物語ではない。
常に奈落の底へと転落してしまう予兆を感じさせながら、まだまだ先の見えない物語は、いったい何処へとつれていってくれるのだろうか。
山田参助『あれよ星屑(1)-(4)』
主人公、川島の過去編は前巻までの戦時中の回顧で終わったと思っていたらそれ以前の若かりし頃の物語が語られ、より一層主人公の厚みが出てくる。しかしこの作者のすごいところは前半部分の重苦しさから、後半の軽やかな物語への転調の部分で、いろいろなしがらみや重苦しさを抱え込んだままそこまでシームレスに地続きでたどり着く点だ。
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