ここしばらく妻の様態が芳しくない。
少し前に妻が実家に帰った時に妻の母と喧嘩をしたことが直接の原因だ。
妻の母は妻の病気のことをあまり理解してくれていない。
もともと心の病に関して偏見的であったうえに、自分の子供が精神疾患だということを認めたくないという気持ちもある。
もちろん、そういう気持ちは理解できる。誰だって認めたくないという気持ちがある。
しかし、その結果、妻と妻の母は喧嘩をし、そして妻の母は親として言ってはならない言葉を妻に言ってしまった。
それ以来、妻は精神的に不安定になったままだ。
そして僕は、そんな状態の妻に届く言葉を持っていなかった。
ただ、ただ、妻の代りに日常の買い物をし、日々の食事の準備をし、妻が落ち着くときを待つしかない日々だ。
妻が病気になったとき、僕は妻の病気と闘うつもりだったし、闘い続けていた。
しかし、統合失調症という病はほとんどの場合、当事者が病気であることを認識できない病気だ。
本人が病気であることを自覚していない状態で、周りの人間が病気と戦うことは恐ろしく難しい。
所詮、病気と一番闘わなくてはならないのは当事者であり、一番苦しむもの当事者で、周りの人間は当事者の変わりに戦うことも苦しむこともできない。
僕が闘おうとすればするほど妻は苦しみ、僕と妻の信頼関係も薄れていった。
一番理解してもらいたい相手に、たとえそれが正しいことであっても理解してもらえないことを知りつつ、当人が嫌がることをし続けなければいけないことは、辛く、時々耐えられなくなることもある。
報われないことをし続けるには勇気がいる。
だから病気と闘うのではなく、病に寄り添うようにした。
しかし、寄り添うだけでなにもできないでいる。
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