村上春樹の小説を読むのは『ねじまき鳥クロニクル』以来なので18年ぶりのことだ。
『ねじまき鳥クロニクル 第3部』が出たのは1995年なのだから17年ぶりの間違いじゃないかと細かい点に気づく人もいるかもしれないが、僕が最後に読んだのは『ねじまき鳥クロニクル 第2部』なので18年ぶりで間違っていない。もっとも第2部は途中で止まったままなので読み終えてすらいないのだが。
ごくまれに、その本がつまらなかったというわけでもないのに最後まで読み終えることなく途中で投げ出したままにしてしまうことがある。もっとも本当に面白かったら最後まで読み終えるはずなので、投げ出してしまった本はつまらなくはないけれども、それほど面白くもなかった本ということになる。
で、途中で投げ出してしまったので、それ以降、村上春樹の新作を手に取ることができなくなってしまったのだが、同時にそれは僕が村上春樹の小説を必要としなくなったということでもある。
確かにそれまでは、新作が出るたびにむさぼるように読んでいて、僕にとって村上春樹の小説を読むことは、生きていくうえで必要不可欠なことでもあったといえる。
そんな必要不可欠なことがあるとき突然、必要でなくなったのだ。
そして、必要としなくなったものに対して対等に向き合えることが出来るようになるのに18年の歳月が必要だった。
といいながらも、『1Q84』が伊井直行の『ポケットの中のレワニワ』と同じ構造になっていという書評を目にしたから手に取る気持ちになったわけで、そうでなかったら手に取らなかったかもしれない。
『BOOK1』を読んだ範囲ではまだ『ポケットの中のレワニワ』と同じとははっきりと言い切れない部分もあるし、『BOOK3』は賛否両論であることを思うと、読まなくっても良かったんじゃないかという気持ちも巻き上がってくる。とりあえず『BOOK2』は読むつもりなのだが、果たして『BOOK3』まで読みきることができるのだろうか。
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