マイケルに捧ぐ

かつて、ワム!という二人組デュオの音楽グループがあった。
ちょうど、洋楽をよく聴くようになった時代と重なっていし、ラジオでもよく流れていたのでわりと聴いていたけれども個人的にはアイドルグループ的な印象が強かったのであまり好きではなかったし、アルバムも買うことはしなかった。
有名な「ラスト・クリスマス」もいい曲だなとは思ったけれどもよく出来過ぎているがゆえにあまり好きではなく、「ケアレス・ウィスパー」に至っては日本のムード歌謡っぽい部分が鼻について嫌いだった。
そんなわけでワム!に関してはあまりその活動を追いかけはしなかったのだけれども、気がついたらジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーはワム!は解散。曲を書くわけでもなく、歌うわけでもなく、ギターも挽いているのか挽いているふりをしているだけなのかよくわからない状態の、ただジョージ・マイケルのそばにいるだけの人だったアンドリュー・リッジリーは音楽の表舞台から消えていった。
曲を書いてそしてメインで歌っていたジョージ・マイケルも、解散してからはなんだかあまりパッとしなくなり、ゲイであることをカミングアウトしたこととか音楽活動以外のことのほうがよく話題に上がっていた。
ワム!に関して知っていることはそのくらいだったのだけれども、ジョージ・マイケルが書いたはずの「ラスト・クリスマス」は実は日本人のゴーストライターが書いていた。というとんでもない本が出て、しかもそれがノンフィクション風のフィクションだということなので興味が出た。

  • 著: 西寺 郷太
  • 販売元/出版社:
  • 発売日: 2014/6/24

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まあ、常識的に考えればゴーストライターが書いていたというところまでは百歩譲ってそうかもしれないと受け入れるとして、それが日本人だったとなるとそんな馬鹿なと思ってしまう。しかし、先にも書いたように「ケアレス・ウィスパー」は日本のムード歌謡っぽい曲で、それを考えると日本人のゴーストライターが書いたといってもちょっと納得てしまいそうにもなる。
しかし、いくらフィクションだからといってそんなだいそれた設定をフィクションとして成立する一定のリアリティをもって描くとするといったいどんな話になるのだろうか。
そいうい点ではこの物語は史実の中に虚構を組み込ませる物語であり、謎のゴーストライターを追い求めるミステリであり、ありえたかもしれないもう一つの歴史を描くSFでもあることになる。
というのは勝手な想像でもあるけれども、実際に読んでいくと、1980年代の洋楽に興味のある、もしくは当時、洋楽が好きだった人間であればいろいろと面白く感じられる洋楽の話題が満載で、なおかつ、ジョージ・マイケルだけではなく、もう一人のマイケルである、マイケル・ジャクソンに関しても数多く言及されている。
二人のマイケルに関しての物語が描かれ、殊能将之の『キマイラの新しい城』を少し思い出した。こちらもマイケル・ムアコックとマイケル・イネスという二人のマイケルに対する愛情が感じられる本だ。
ゴーストライターの真相に関しては、史実の中の虚構として収まる場所にうまく収まったという点では、それほど衝撃的な真相というわけではないけれども、ゴーストライター説に関する話の真偽を追い求めていく展開は極めて論理的で、冒頭のとんでもない謎が綺麗に解決されるという点では本格ミステリといってもいいかもしれない。なによりも、無能の人だというイメージだったアンドリュー・リッジリーが、実はワム!にとっても、ジョージ・マイケルにとっても無くてはならない人で、歌を歌えなくっても、曲を書かなくっても、ただジョージ・マイケルの側にいて彼の支えになっているだけで、十分であり、二人がいてこそのワム!であったということが理解できたのはよかった。その点では、アンドリュー・リッジリーがお荷物だったと思っている人には読んでもらいたい一冊だ。
この本を読み終えてワム!の曲を聞きたくなったのでyoutubeで聴くことができるものを何曲か聴きなおしてみた。
それほど好きじゃなかった「ラスト・クリスマス」が、聞いているうちのあの当時の自分自身のいろいろな思い出が蘇ってきて、そんな懐かしさも合い重なってあらためて名曲だなあと思い直した。これっていわゆる思い出補正とは逆の形のパターンになるのかな。でも「ケアレス・ウィスパー」はやっぱりあまり好きじゃなかったけれども。
今までそれほど気にしたことはなかったけれども、マイケルという名前の有名人は結構いるのかもしれない。
そんなことを考えていたら、マイケルという名前の作家の作品を集めたアンソロジーというのも面白そうな気がした。
ただ、マイケルと一口に言ってもマイクルと表記される場合もあって、マイケル・イネスなんかはマイクル・イネスと表記されることもある。あまり細かいことを言ってもしかたがないので、とりあえずはマイケルと表記されたことがある作家であれば対象としてみよう。
先まずは先に上がっているマイケル・ムアコックとマイケル・イネスは入れるとして、マイケル・ムアコックはエルリック・サーガのどれかを入れることになるかな思うんだけれども、どれにするかというと悩むので、むしろシャーロック・ホームズのパスティシュ「ドーセット街の下宿人」あたりがいいかもしれない。マイケル・イネスはアプルビイ警部物の短編から「ハンカチーフの悲劇」あたりになるだろうけれども、ノンシリーズの短編もかなりあるので、難しい所。
同じミステリ作家ではマイケル・ギルバートがいるけれど、この人も短編が結構あるのでどれにするか悩みどころだ。
マイケル・クライトンというと長編しか書いていない印象があるけれども、数少ない短編の中から「世界最強の仕立屋」を入れておきたい。
マイケル・シェイボンも長編の方が印象が強いが、「悩める狼男たち」とか「暗黒製造工場」あたりを入れたいけれど、もう一冊の短篇集『モデル・ワールド』にもいいものがあるかもしれない。
マイケル カニンガムは『星々の生まれるところ』からどれかを取りたいところだが、さしずめ「機械の中」かな。
マイケル・ブルームラインは「器官切除と変異体再生 -症例報告」がいいかもしれないけれども、マイケル・ブルームラインは外したほうがいいかもしれないなあ。
かつて存在した「マンハント」という雑誌に載せられたマイケル・デジナの「奥さま…脅迫会社です」は未読なんだけれどもタイトルが面白そう。
タイトルでいえば『Sudden Fiction2 超短編小説・世界篇』に収録されたデイヴィッド・マイケル・キャプランの「じゃあね、あなたのたった一人の母親より」も気になる所だ。
同じく、マイケル・ワイルディングの 「百五十七段目に住む見習い吸血鬼」も読んでみたくなる題名だね。
マイケル ドリスの『朝の少女』は長編なんだけれども、ラストでそれまでの世界が奈落の底に落とされる話という点では入れてみたいところ。ちょっと長めの中編というところでなんとかなるかな。
その他にはマイケル・マーシャル・スミスも入れておきたい。
このあたりが今のところの候補だ。
あとはマイケル・ジャクソンとジョージ・マイケルの歌もそれぞれ一曲づつ収録してもいいかな。マイケル・ジャクソンはメッセージ性の強い曲の中から「Black and White」あたり、ジョージ・マイケルはそれとは対極的な感じで「ラスト・クリスマス」なんかがいいと思う。「ラスト・クリスマス」の歌詞は曲の雰囲気とは逆にちょっと悲しい内容なんだよね。
で、最後に作者ではなくタイトルにマイケルとついているフランク・オコナーの「マイケルの妻」をおまけとして入れたい。
そして、献辞は
マイケルに捧ぐ。
と入れたいのだが、この本のタイトルはどうしようか。
とりあえず思案としてざっと書いてみた。挙げた作品でも読んでない作品もあるし、読んだけれどもどんな内容だったのか忘れてしまった作品もあるので機会があったら候補に挙げた作品を読み終えてから架空のアンソロジーとして記事を書いてみたいと思う。もっとも、この記事を読んだ誰かが先に書いてくれてもいいんだけれども。

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