瀬戸川猛資はフランスミステリ嫌いだったけれども、彼は実際に読んだ上で嫌いだったが、僕の場合は読まず嫌いに近い。
いや、実際に嫌っているわけではないのだが、なんとなくフランスミステリという言葉から受ける印象が、本格謎解きミステリというよりもサスペンス重視のミステリという印象の方が強くなってしまい、読みたいという気力が湧かなくなってしまうのだ。
ベルギー出身だけれどもフランス本格推理小説の黄金時代を築いたS・A・ステーマンの『マネキン殺人事件』もあまり感心しなかったし、ジャックマール&セネカルの『「そして誰もいなくなった」殺人事件』も題名が題名だけに期待して読んで、がっかりした。
ブリジット・オベールも『神のはらわた』を読んだっきりで止まってしまった。
というわけで、『シンデレラの罠』もかなり昔に、買いはしたものの積読のまま来てしまっている。
そろそろ、自分のこのフランスミステリの読まず嫌いを直さないといけないなと思い、『シンデレラの罠』を読むことにした。
もはや古典的な名作なのであれこれ書くつもりもないが、実際に読んでみると、解説にも書かれているように、一人四役というアイデアが主体となる物語ではないことに少し驚いた。
H・G・ウェルズの「タイムマシン」と同様に、後世の作家が「一人○役」というアイデアの面白さを膨らませたといったほうが近いのだろう。
むしろ、五味康祐の「柳生連也斎」タイプのリドル・ストーリーであったということのほうが驚いた。結末の数行によって、主人公が誰だったのかということは推測することができるのだけれども、作者は文中では明確に主人公の正体を明らかにしていない。
実際に読んで見なければ気づかなかったという点では、『シンデレラの罠』という物語そのものではなく、世間での評判にまんまと騙され続けていたわけだ。
うーん、やっぱり実際に読まなければわからないものなんだね。本というものは。
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