お通夜

前回から続く
九時に目を覚まし、コーヒーを入れて飲み始める。1時間程度は寝ることができたようだ。
自治会に連絡する文面を見てほしいから来てくれと父から電話がかかってくる。
今から思えば、自治会に連絡をしようとしたのが過ちだった。質素に行うのであれば、完全に家族葬として誰にも連絡などせず密葬にしてしまうのが正解だったのだ。
しかし、生まれたときから住んでいた土地での風習というのは意識せずとも身に染み付いてしまっているようだ。父も僕も何の疑問も抱かずに自治会に連絡し、親類に連絡することをしていた。
自治会を通して訃報を連絡すれば、弔問客は集まってくる。香典・供物はお断りしますと明記しても、弔問客は当たり前のように香典を持ってくるし、近所の人たちは何かと手伝いを進み出てくれる。
質素のはずが次第に大きくなっていく。
最初の予定が次々と崩れ始める。もちろんそれはそれでかまわないのだが、僕と妻にはもうひとつ問題があるのだ。
妻は大勢の人が集まる所にいることができない。いまもまだ残り続けている妻の妄想は、世界中の人間が自分のことを統合失調症だと知っており、見かければ自分のことをあざ笑っているという妄想だ。妻にとってはいまだにこの世界はつらく悲しい世界のままだ。
弔問客が多くなればなるほど妻の心は不安定になる。しかし、妻自身は葬儀に参加したくないわけではなく、参加したいのだ。でも自分の中の心の一部がそれを邪魔してしまう。
次々と崩れていく予定と、妻をどのような形で葬儀に参加させるかという二つの問題をどうにか解決させなければならない。そして妻の問題は僕ひとりで密かに解決しなければならない。
今日のところは妻は自分の家で一人休んでいてもらうことにする。一人っきりにさせるのは心配なのだが、これ以上ほかに選択肢はない。
父と一緒に明日の火葬の際の参加者の人数の予測を立て、おおよその参加人数を決定すると17名となった。普通の葬儀であれば少ない人数、簡素に行うには少し多い人数だが、妻にとっては苦痛と感じる大人数だ。
この人数から妻をはずすためには弟の嫁さんの二人で、火葬場に行っている間の留守番としての役割を振るしかない。本来は近所の人が行ってくれる役割で、おそらく今回も近所の人が進んで行ってくれるだろうが、ここは何が何でも押し通すしかない。
横になれるときには横になるようにして体を休めつつ、葬儀会社の人と今後の予定を打ち合わせし、崩れた予定を再調整していく。
父は僕よりもてきぱきと動いている。倒れてもらっては困るのでほどほどで休んでもらいたいのだが、自分のほうも体力的に限界が近い気がする。
夕方五時過ぎになったころ弟を呼び、今日決定になった事項を話し、後を引き継ぐことにするのだが、そのころになってようやく弔問客が訪れ始めたので帰るに帰れない状況となってしまう。
なんとか弔問客の合間をぬって自宅へと帰るのだが、さっそく弟から電話がある。
父が次々と火葬場へ行く人数を増やしているというのだ。
今回予定している送迎用のマイクロバスは25人乗り、霊柩車には二人乗ることができる。それ以上増えた場合は個人で行ってもらうしかない。問題は現地で出す弁当の問題だ。多い分にはかまわないが少ないわけにはいかない。
もう一度想定していた人数を確認しなおし、現状のままでも余裕があることを確認しなおす。現状のままですすめ、父にはこれ上増やさないように弟に指示する。
電話をし終わり、今度は翌日の挨拶文を考える。
人数が少なければ挨拶なしで出棺しそのまま進む予定だったのだが、どうやら挨拶無しで済む人数ではなさそうだ。喪主である父が話すべきかもしれないが、悲しみというのは口を閉じているからこらえることができるものであり、言葉を出せば、今までせき止めていたものがこぼれだしてしまう。父は挨拶を僕に頼んでいた。
葬儀は個人の意思を尊重したということ、そしてそのお詫び、なおかつ、来てくれた人が来てよかったと感じさせるような感謝の言葉、そんなものを盛り込んでおおよその文章をまとめた。あとはその場の気分でなんとかなるだろう。
ようやく眠りにつくことができそうだ。

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