母のこと

1月18日午前1時28分、母が亡くなった。
ブログの更新が止っていたのはそのせいだ。
前日の午前11時頃に家で倒れているところを父が見つけた時には意識はまだあり、ある程度の言葉はしゃべることができていたが、左半身は痙攣していてそのまま救急車で病院へ連れていくことになった。
容態はどんどんと悪化し病院で手当てを受け始めた時にはほぼ意識はなく、医師の話では脳幹の部分で出血が起こっており、外科的な処置はほぼ不可能な状態となっていた。
僕が連絡を受けたときは12時30分、倒れて救急車で運ばれ治療中だが、たぶん半身不随になるだろうという内容だった。
治療中ならばあわてて駆けつけても仕方がないのでそのまま仕事を続けていた。
再度連絡があったのは3時。家族には集まってほしいという状況になっていた。
そのころ父はひとつの選択を迫られていた。
それは延命処置をするかどうかという選択だ。
その時点での母はすでに意識はなく意識障害、つまり脳死という状況で、このままなにもしなければ呼吸が止まり心臓も停止してしまう。人工呼吸器を取り付け延命処置をとれば、母の肉体は生き続ける。しかし医師の話では意識が戻る可能性はほぼない。
奇跡が起こることに望みを託して延命処置をとるか、このまま見守るか。
そして奇跡の代償は大きい。
一度延命処置をとってしまえば、それを止めることはできなくなってしまう。日本では安楽死は認められておらず、それを行えば殺人の罪を犯さなければならないのだ、
父は延命処置をとらず、このまま母を見守る選択をした。
このまま見守るという選択をしたからといって、母の呼吸がすぐに止るわけではない。数日間はこのままの状態が続くだろうと、そのときには思っていた。
母はただ苦しそうに呼吸をしているだけだった。
6時ごろ、父を残して僕と妻と弟夫妻は一時帰宅した。
僕以外の人間はまだ残っていたそうだったが、僕は父を母と二人っきりにさせてあげたかったのだ。たぶん父もそうしてほしかったと思う。
食事をし、風呂に入り、大したこともしないまま時間が経ち、いつの間にか11時を過ぎていたので寝ることにした。
そして、うとうとしかけたころに電話が鳴る。電話の表示には父の名前が表示されている。話すまでもなく何が起こったのか想像できた。
着替えて妻とともに病院へと向かう。深夜の病院はとても静かで、母の病室までの道のり遠い。時折人とすれ違う。ここでは僕たち以外にもさまざまな命が交差しているのだ。
病院に着くと母は静かに呼吸を繰り返していた。後はただ見守るだけだ。病室は暑い。妻が飲み物を買いに行こうと僕を促がしたので一緒に出かける。
自動販売機を探してお茶を買っていると電話が鳴った。急変したようだ。
心電図のモニターの数値はかなり下がってきていた。
ときおり数字はゼロになる。
やがて、先生が心臓の鼓動と網膜を確認し、1時28分、ご臨終です。と言ってくれた。
ドラマなどで、モニターのラインがフラットラインになり誰の目でも明らかになくなったことがわかるシーンがあるが、あれは嘘だ。
実際は、フラットラインになどならない。ご臨終ですといわれた後でも微妙に上下に触れている。先生がご臨終ですと言わなければ僕たちはいつまでも母を見つめていただろう。
遺体の処置をするため休憩所で待っているように指示され、待っていると、看護師がやってきて、エンゼルケア、いわゆる死化粧をするかどうか聞いてきた、僕はどっちでもよかったのだが、父は行ってくれと言った。
さて、これからのことを決めなければならない。
母の遺書を開いて、葬儀をどうするか決めなければならないし、母の遺体をどこに安置するのか決めなければならない。
母が生前、自分の葬儀について言っていたことは次の三つだ。
・式は香典・供物・花輪などなしで身内だけで簡素にやってほしい。
・お坊さんはよばないでほしい。
・遺骨は海に散骨してほしい。
父は母を、自分の車で家へと連れて帰りたいと言った。
いったん家に帰り、遺書を調べてどうするかを決定しなければならない。たぶん二時間はかかるだろう。僕は看護師に4時にここに戻ってきますと言い、僕と妻と弟夫妻と父の五人は病院を出た。
実際に検討してみると、条件1は簡単なようでいて簡単ではなかった。
自分たちでやるということはすべてを自分たちで行わなければならないということである。要所要所で葬儀会社の手を借りなければ不可能だ。
結局、母の遺体は葬儀会社に頼み、自宅へとつれて帰ることになった。
葬儀会社の人と打ち合わせをし、もろもろのことを決めていく。まずは日程だ。今日をお通夜とし火葬は翌日とするか、それとも少し日を延ばすか。今日お通夜の明日火葬は急スケジュールなのだが、父も僕も急スケジュールを選択した。
肉体的にはきついが、日を延ばせば父の気の張りが途切れてしまうだろう。父が気を張り続けていることができるうちに火葬まですませておいた方がいい。
一通りのことを決め、ひと段落すると五時を過ぎていた。
妻はもうそろそろ限界に近い。
妻は統合失調症である。そして統合失調症はストレスに弱く、何よりも睡眠が大事なのだ。
たぶん寝られないだろうけれども、体を休めさせなければならない。父には悪いと思ったが、一度家へ戻ると言い、父一人を残すかたちとなってしまったが、五人は解散することとなった。
弟にはお通夜は大したこともないだろうから夕方くらいでいいと言っておく。
もちろん、実際には夕方来ればいいという物ではなく、数時間後にはもろもろのことを執り行わなければいけないのはわかっていた。しかし、それをするのは僕と父だけでいい。
もう、徹夜が厳しい歳となっていたが、そのときは何とかなると思っていた。

コメント

  1. ののの より:

    ご愁傷様です
    お母上のご冥福をお祈りいたします。

  2. のりゆ より:

    いつもブログを拝見させていただいています。
    私の母も少しですが統合失調症の気があり、父に幻聴などを訴えていた時期がありました。(今は落ち着いています)
    そのため、奥様のお話は心に残ります。
    お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

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