引っ越しするにあたって、蔵書をダンボール四箱分ほど処分した。
半数以上はコミックだけれども、中には買って一度も読んでいない本なんかも処分してしまった。
もったいない気持ちもあるけれども、買っても一度も読まなかった本なんて、手元においていても多分この先読むことなどほぼ100パーセントないだろうと思ったからだ。
もちろん、積読状態の本すべてをそんな考えでもって処分したわけではなく、一部の本だけのことなんだけれどもね。
そんな境地に達したのもやはり歳をとったということを実感するようになったせいでもあり、何かを学ぶために読むという行為を読書に求めるのにそろそろ限界を感じる年代になったせいでもある。
ようするに読んでも忘れてしまうというわけで、覚えることが出来ないということは、未読の本が増えるのと等しい。この先、今まで以上に未読の本が増え続けることを思うと、少し整理したい気持ちも芽生え始めてきた。
もちろん、何かを学ぶことを諦めてしまったわけではないのだが、今までのようなペースをこの先も維持していってもあまり意味がないと感じて始めているのも確かだ。
多分、歳をとったらとったなりの人生の生き方に対するスピードのペース配分というものがあり、歳をとるということを受け入れた生き方をするべきなのだろうと思う。
家に帰ると、早川書房から「S-Fマガジン 2014年11月号」が届いていた。
前小口の部分に「謹呈」という印が押してある。
最初に届いた時には何故僕のところに早川書房から謹呈本が送られてくるのかさっぱりわからなかったのだけれども、今年の三月に行われたオールタイム・ベストSFの投票で抽選に当たったためだった。
そもそもオールタイム・ベストSFに投票しようと思ったのは、参加することが楽しかっただけで見返りなんてものは望んでもなく、なので投票者のうち10名に抽選で「S-Fマガジン」半年分が当たるなんて表記があったことすら気づかなかった。
で、その10名の一人に当たったらしい。
たまにはちょっとだけ良いこともある。
今月号は「30年目のサイバーパンク特集」
いつの間にかサイバーパンクも、というかウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』も発表されてから30年も経ってしまったということに少し驚いた。
もっとも僕自身はサイバーパンクに思い入れがあったかというとそうでもなく、特に『ニューロマンサー』は翻訳されてすぐに買ったけれども、少し読んだだけでそのまま積読にしてしまったくらいだ。はっきりいえばあまりおもしろいと感じなかったのだ。
そういえば、同号の若島正の連載記事の中で、日本語の積読という言葉が海外でTsundokuという言葉で市民権を得ている話があって嬉しいやら悲しいやら、買った本を読まない人は万国共通なんだなと思った。
で、『ニューロマンサー』の話に戻るけれども、未だに未読なのかといえばそうでもなく、1995年ごろに『ニューロマンサー』再チャレンジした。というのも、そのころ仕事でインターネットに関わることになり、メディアでもインターネットというものがサイバーパンクという言葉で語られることも多々あって、ここで読まなければいけないなと思い『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーバードライブ』『クローム襲撃』まで一気に読みふけったのだ。しかし理解できたのかといえばそれほど理解できたわけでもなく、かっこいいけれどもどこが面白いのかよくわからなく、SFにおけるサブジャンルとしてのサイバーパンクにはあまり興味が持てないままで、つまるところ僕にとってのサイバーパンクというのはSFとしてではなくインターネットの中における一つのあり方でしかなかったし、リアルであるインターネットの方であれこれやるほうが僕にとっては面白かった。
それから数十年の月日が流れ、ギブスンの『ニューロマンサー』は消え去ることなく残り続け、残り続けたということは結果として古典になり、『ニューロマンサー』が持っていたあのかっこよさは今でも残り続けているのかどうかに関しては再読して確かめて見るほかないけれども、今のインターネットの中にあの頃の僕が夢見たサイバーパンク的な世界が残り続けているのかに関していえば、残ってはいない。
「30年目のサイバーパンク特集」の記事を読みながら、あの頃のことを少し思い出して懐かしく感じた。
サイバーパンクなのに懐かしさなんて感じてしまっていいのかと少しだけ思いながら。
コメント
贈呈 すごいですね・・・・僕は「幽」「異形コレクション」などのホラー方面の人間なんですが SFマガジンはまだ読んだ事はありません・・・・
僕も読んだ本の内容をよく忘れたりするのですが・・・・最近は長編を読む事さえ辛くなってきました・・・
もう一度 本に熱中できるようになりたいです・・・・
higaさんこんにちは。
昔はSFマガジンも毎月買っていたんですが、最近は面白そうな特集の時程度で、それも一年に一回あるかないかなので、そんな人間がSFマガジンを貰ってしまっても良いのかという気持ちもちょっとあります。
昔ほど本が読めなくはなってきているのですが、まあそのあたりは少しでも読むことができればいいかな、と思うようにしています。