『夢みごこち』フジモトマサル

荘子の話の中に「胡蝶の夢」という話がある。
「胡蝶の夢」に対して文句を言う人間はいないだろうけれども、「それまでの出来事はじつはすべて夢だった」という形でむりやり物語を終わらせてしまう、いわゆる「夢オチ」には文句を言う人間はいる。
夏目漱石の「夢十夜」は全て夢の話なのだけれども、書き出しを「こんな夢を見た。」とすることであらかじめことわりをいれている。もっとも、ことわりをいれなくても個々の話はそれぞれしっかりとまとまっているので「夢オチ」にはならないけれども、この『夢みごこち』は、大多数の話が全て、語り手が目覚めるところで終わり、今までの出来事は全て夢だったという形で終わる。最終話を除けば全て夢の中の話である。
広義の意味での「夢オチ」ではあるが、個々の話は夢から覚める前に何らかのオチがつくので、夏目漱石の「夢十夜」と同様、「夢オチ」であっても不満は全然ない。
最初の話は、語り手が目が覚めたところで終わる、そして次の話はその語り手が目が覚めたところから始まるのである。で、次の話も語り手が目が覚めたところで終わり、その次の話が始まる。
語り手は延々と夢から目覚め続け、というか醒めても醒めても夢だったという、悪夢に近い情況を繰り返し続ける。
語り手が見る夢は、少し不思議で少し怖くて、少し面白い。そして、そんな夢を延々と描き続けたこの漫画はとても面白いのだ。

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