日々の名残 備忘録3

しばらく文章を書かないでいると、いざ、書こうと思ってもどんなふうに書けばいいのか戸惑って、書けなくなってしまう。
といっても、毎日書いていれば大丈夫なのかといえばそうでもなく、書く内容も伴っていなければ書いていて満足できる文章など書けやしない。
少し前のことだけれども、職場で昼飯を食べている時にある人から、とある案件で入力したデータが結果として使われなかったので悲しいと言われた。
その案件に関しては僕自身も関わっていて、仕様が二転三転していた案件でもあったので、申し訳なかったなあと思いつつも、データそのものは使われなかったものの、機会があれば使われる可能性も残っていて、まったく無意味なデータでもなかったし、使われなかったのはその人のせいでもなかったので、努力が報われない仕事も時にはあるよ、と答えるしかなかった。
やらなければいけない仕事を問題なく行ったわけなのだから、使われなかったとしてもあまり気に病むことなど無いということが本当は言いたかったのだけれども、そういうことを僕はその時に言いたかったのだと気がついたのはそれからしばらくたってからだった。とっさの機転が効かないのは僕の欠点でもある。
そんなわけで、その時自分が話した内容がその人にどのように伝わったのかよくわからない。多分うまく伝わらなかったのだろうと思う。その人が問題にしていた事柄に対しての僕の答えは、直球勝負なのに変化球で逃げたずるさでもあり、人生を半ば諦めた年寄りの考え方でもあったのかもしれない。
若いし、仕事に関して真剣に取り組んでいるから、自分の仕事の結果が生かされなかったことが悲しかったのだろうけれども、そういう気持ちを持ち続けるというのは両刃の剣で、自分が注ぎ込んだ力の分だけ、結果は大きく跳ね返ってくる。良い結果であればいいのだけれども、悪い結果だった場合もありうる。悪い結果も受け止めることのできる力強さがあればいいのだけれども、受け止めるだけの力がない場合、悲しいことだけれども何事もほどほどにしておいたほうがいい。
そんなわけで、僕としてはこの仕事をそれだけの情熱で続けていこうとすることに対して、その人のことがちょっと心配だったのだけれども、その人がこの仕事を続けていくのはやはり難しかったようだ。

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