岩岡ヒサエという漫画家の存在を知ったのが『土星マンション』からだったので、それ以前の作品を読んでいなかった。
まあそれほど慌てて読まなくってもいいかとのんびりと構えていたのだけれども、のんびりと構えているうちに初期の本は近所の書店の棚から消えていってしまっていった。
ふとしたきっかけで『オトノハコ』の原型短編(前日譚)にあたる短編が『花ボーロ』に収録されていることを知り、『オトノハコ』の記憶があたらしいうちにというか内容をまだ覚えているうちに読んでおこうと思ったら、どの書店を探しても見つからないのだ。
しかたなしにネット書店で購入したのだが、書店の棚から手に取るところからしたかった。
『星が原あおまんじゅうの森』の記憶がまだ新しいけれども、『花ボーロ』はいまから六年ほど前の作品でありながらなんら遜色のないところに思わずほっとしてしまった。良い意味でなにも変わっていない。
そしてつくづく、この絵柄というのは岩岡ヒサエの強力な武器なのだと実感した。等身の低いキャラクターのおかげで小さな箱庭の世界を見ているような感覚なのだ。
そして短編集でありながら、月刊誌に連載するかたちで発表されたせいか、個々の短編は微妙に繋がりがある。この微妙さ加減が、作者の絵柄の持つ箱庭的な要素とうまいぐあいに合い重なり補強され、読むというよりも眺める形でこの世界を味わうことができるのだ。
コメント
ときおり感想を読ませてもらっているものです。一冊の小説を手にとることになったきっかけがていねいに書かれているのがおもしろいなと、かってに外野から思っています。
さて、「前日譚」ということばでよろしいのでしょうかね。自信がありませんが、『オトノハコ』のほうがあとに描かれているのだったら、「原型短編」とかじゃないんですかねえ。……荒巻義雄の「種子よ」と『神聖代』のかかわりみたいな。とはいえ、どちらもいいマンガですよね。
>一冊の小説を手にとることになったきっかけがていねいに書かれているのがおもしろいなと
自分では、なんだかこんな事を書くのは言い訳めいているなと思う面もあるのですが、ただ単純に本を読むというだけではなく、一冊の本と出合うという事柄そのものも、本を読むということの楽しみの一つなのだろうと思います。
>さて、「前日譚」ということばでよろしいのでしょうかね。
確かにそうですね。この本を紹介しているページでそのように書かれていたのでついついそのまま書いてしまいました。内容的にはそうであっても「原型短編」と書いたほうが正しいでしょうね。
それから、メッセージにてご紹介された本はどれも未読です。
積読本が多いので必ず読むとはお約束はできませんが、これらの本と出合う機会が訪れた時には読んでみることとします。