昔々、僕が仕事を終えて家に帰ってくると玄関に段ボール箱がおかれていた。靴を脱ごうとしたとき、その段ボール箱の中からガサゴソと音がした。恐る恐る中をのぞき込むとそこにはタオルにくるまった一匹の子犬がいた。
翌朝、母がとなりの動物病院から一匹もらってきたと言った。動物病院の先生が散歩していたときにその子犬が捨てられているのを見つけ、そして母に貰ってくれないか聞いてきたらしい。で、母は飼うことにした。
翌朝、子犬を抱きかかえてみたときに、子犬に限らず赤ん坊というのは命の固まりなのだということを実感した。指先を口元に持っていくと、ミルクなど出ないのに一生懸命に僕の指を吸い続けるのだ。吸い続けることのみが生きることであり、そして生きることに貪欲なのだ。その時、僕は小さな子犬なのだが途方もない生命力を感じた。
莫言の小説を読むと、あのとき感じた生命の激しさというものを感じる。
近代的な出産医療技術を学んだ主人公の伯母は農村地において安全な出産に奮闘する日々を送っていたのだが、一人っ子政策が行われるやいなや、今度は計画出産外の赤ん坊を生ませないために奮闘する。計画外の妊娠の場合は堕胎させるのだ。
物語は伯母さんの甥っ子の視点で語られるので伯母の心の中の葛藤というものは表だっては現れない。主人公から見た伯母さんはあくまで国家に対して忠実で、使命のためにはあらゆる困難も乗り越え、苦難も耐える人物として描かれる。
主人公の最初の奥さんは二人目の子供を妊娠し、そして伯母に発見され堕胎させられるのだが、そこで命を失ってしまう。失意の中、主人公は伯母の薦めで、伯母の助手を務めていた女性を後添えとして貰うが、二人目の女性は子供を望みながらも叶うことができない。
主人公を中心としてその妻となった二人の女性の対比が、中国国家の一人っ子政策の切実な問題点を浮き彫りにさせているのだ。
五部構成の物語のうち第四部までは六十年近い年月の行く末を描き、ごく普通の展開をするのだが、第五部で転調する。第五部は、主人公が書いた戯曲という体裁を採ることで普通に描いたのでは描ききれない部分があらわになり、第四部まで読んで理解できた世界が、再びある種の混沌とした世界に戻って物語の幕が閉じる。
母が貰ってきた小さな子犬は、成長し、大人になり、そして去年、土に還った。
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