『Zの悲劇』エラリー・クイーン

エラリー・クイーンの「悲劇四部作」の中で唯一いままで未読だったもの。
中学生の時に「X」「Y」と順番どおりに読んで、『Yの悲劇』の時には夜中に布団の中で読み終えて、あまりの衝撃に明け方まで興奮して眠れなかったくらいだった。
その衝撃故なのか、それともそれまで新潮文庫版を読んでいながら、残りの二冊は角川文庫版を買ってしまったせいなのか、『Zの悲劇』は冒頭の数ページだけ読んで何故か断念してしまったのだ。で、とりあえず終わりの数ページだけ読んで犯人が誰なのかだけ知って、『最後の悲劇』を読むなどという暴挙に出たのである。
まあ、クイーンが『最後の悲劇』に仕掛けたネタもガイドブックで既に知ってしまっていたので、『Zの悲劇』に対する暴挙もそれほど心を痛めるようなことでもなかったし、『最後の悲劇』の方はとりあえず読むことにしたのも最後なんだから読んでやらなければいけないよなあという義務感みたいなもので、案の定『最後の悲劇』はそれほど面白いとは思わなかった。
しかし、年月が経って、『Zの悲劇』は最後の謎解きで事件の容疑者を27人に絞り、そして消去法によって鮮やかに一人の犯人を指し示すという素晴らしいことをやっているミステリであることを知って、もの凄く後悔した。
その時点で読めば良かったのだが、始めと終わりの数ページだけ読んで、読んだ気になった身としては、あらためて読むということの後ろめたさというものがあって、結局読むことが出来ずに今まできてしまっていた。
今回、意を決して読むことにしたのは、今回の解説を法月綸太郎が書いていて、これがなかなかの力作であるという評判からだった。法月綸太郎の解説の前に今まであった後ろめたさなど何処かに行ってしまったのである。
面白いミステリというのは犯人がわかっていても面白い、と言われるがこれは嘘だと思っていた。でも世の中には例外も存在したんだよね。『Zの悲劇』の終盤の消去法による謎解きは犯人が誰なのかわかっていても面白かった。
あと、驚いたのが、この本が1933年に書かれていたことだった。解説でも触れているけれどウールリッチの『幻の女』よりも古いのだ。しかし今回、角川文庫で新訳になったせいもあってか、新しさを感じさせた。
『最後の悲劇』も読みなおせば、また、新しい発見をするかもしれないと思ったよ。

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