下に張り付けた映像の中では、白いシャツと黒いシャツを着て二手にわかれた男女六人が互いにバスケットボールをパスしている。
あなたは白いシャツを着たチームが何回ボールをパスしたかを数えてみてほしい。
ボールをパスしている映像は20秒ほどで終わる。そしてその後に質問が二つ表示される。
一つは、白いシャツを着たチームは何回パスをしたか。
二つめの質問は、45秒付近で表示される。質問は英語だが多分理解できるだろう。
この本の作者達が行った実験では、この映像を見た人の約半数は二番目の質問を聞いて驚いたという。そんなことは有り得ないと。
あなたは二番目の質問に驚いただろうか。
残念ながらわたしは二つ目の質問も答えることができてしまった。驚きを味わうことが出来なかったのは残念だが、しかし、似たような経験は何度かしたことがあるので、それほどがっかりはしていない。
つまりわたしも自分で思っている以上に、自分の注意力や認識力がいい加減であるということを認識している。
この本では様々な事例がこれでもかというほど載っていて、それはそれで飽きさせないのだが、わたしは途中であきてしまった。妻が病気になって以来、人間の認識力の危うさというものを嫌というほど実感させられ続けているからだ。実際に身近なところで、人はどんなに非現実的なことであろうとも自分の認識の方を正しいと信じてしまうのだということを突きつけられ続けていると、この本に書かれていることはそれほど驚くに当たらない。
この本にヒラリー・クリントンが語った戦場体験の嘘というエピソードが載っている。人間の記憶というものも様々な理由で錯覚を起こし、嘘を信じてしまうという話なのだが、問題は、嘘であることが明らかになった後でもヒラリー・クリントンはそれを嘘だったと認めていないことだ。
上記の映像を見て、錯覚に陥った人は、自分がそこにあるものを見ていなかったことに驚くだろう。そして自分の間違いを認める。しかし、間違いを認めることの出来ない人もいる。
妻は病気であるが故に間違った認識をしている。しかし、病気であろうがなかろうが、人は錯覚を起こし、そしてそれが正しいと信じ込んでしまうのだ。
人は簡単に間違うということはこの本に書かれていた。しかし、わたしが知りたいと思っている答えは、残念ながらここには書かれていなかった。
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