自分の直感だけを信じて買った本だが、今回は当たりだった。
まあ、直感というのは無意識における統計処理の結果でもあるので、少なくともその本が面白いかどうかという自分の直感というのは統計処理である以上、当たる確率は高いかもしれないが、その統計処理が何を根拠にしているのかといえば、表紙の絵とか冒頭の数行とか裏表紙に書かれたあらすじを元にしているだけなので自分が思っているほど自分の直感は当たらないかもしれない。なので直感が当たったというよりも運が良かったと言い直したほうがいいだろう。
自分のことはさておき本の話に移ろう。
自分が小学生だった時、どうだったかといえば、あまり何も考えず、ある意味欲望のままに生きていたような気がする。宿題なんかやらなくって、やらかければいけないことを知っていながら、先生には「忘れた」といいわけをしていた。宿題を忘れたのではなく、やりたくなかったのでやらなかっただけだ。なのでまわりの空気なんか読むこともなかったし、多分他のみんなも空気を読むなんてことなどしなかったと思う。
そう考えると今の小学生は大変だな。
周りの空気を読んで、仲間はずれにされないように、学校という中でのカースト制の中間あたりを維持するように努力しなければならないなんて、そう考えると、とうの昔に生まれておいてよかったと思った。
もっとも、これは小説の中での主人公を取り巻く環境設定であるからして現実とはかけ離れているかも知れない。そもそも、物語を読むとそれに取り込まれて戻って来れそうに無くなってしまうという少女の設定は凄まじい。彼女は毎日、自分の頭の中で灰色の部屋を設定し、その中で生きていることを想像して現実を生きているのだ。こんな設定をよくも思いつくものだと思った。金城一紀は物語の力を純粋に信じているが、この少女は物語の力を金城一紀とは逆ベクトルで行使してしまう。そして主人公はその少女に振り回される結果となってしまう。
普通に考えれば、このような状態においてこの物語がまともな終わり方を迎えるとは思えそうにもないのだが、読者の想像を裏切るかのように、希望をもった終わりかたを迎える。
桜庭一樹が描く少女とは異なった形で村田沙耶香は少女を描いている。
読むのが楽しみな作家がまた一人増えてしまった。
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