小さな世界

ハムスターを飼っている。
日中、一人っきりで過ごしている妻が寂しがらないようにと、飼い始めた。
アニマルセラピーというものがある。
動物と過ごすということは妻の為にもなるかもしれないと思っている。
本来ならば、コミニュケーションを取りやすい犬を飼った方がいいのだが、散歩や食事、吠えた時の近所に対する騒音などを考えると、得るものは大きいが、リスクも大きい。
妻の様態が悪化したときの事を考えると、私一人でも世話の出来る動物である必要もある。
ハムスターであれば過去に飼った経験もあるし、私一人になっても世話をすることが可能だ。
しかし、ハムスターの寿命は二年ほど。
妻の病気はストレスに弱い。
亡くなったときに訪れる悲しみが妻にどのくらいの影響を与えるか、不安要素はかなりあった。
しかし、他に寂しさを紛らわせる為の手段もすぐには思いつかない。
さんざん悩んだのだが、結局、妻の懇願に押し切られる形で、飼うことになった。
で、そのハムスターが今朝、脱走した。
普段なら、カラカラと勢いよく回るまわし車の音や、がじがじとケージの横網を囓る音がしないことに、異変を感じたらしい妻が、様子を見に行って、叫んだ。
「○さん、ハムスターが……」
妻の声を聞いて、ハムスターが亡くなったのかとひやりとする。
「ハムスターが、いない」
布団をはねのけ、妻のいる場所へと向かう。
会社に行くまでの間に捕まえることが出来るのだろうか?
本は囓られていないだろうか?
真っ先に本の心配をしてしまう自分に呆れてしまうが、何処にいるのだろうかあたりを見回す。
ハムスターを捕まえるタイムリミットは出社時間までの一時間。
妻が、開けっ放しだった押入の奥に逃げ込むハムスターを見つける。
幸い、囓られて困るようなものは押入には入っていない。
しかし、捕まえる為には押入の荷物を出さなければならない。
手前の段ボール箱から取り除いていくと、ゴミバケツに隠れるようにハムスターがこちらを見ていた。
ゆっくりと手をさしのべる。
手の上に乗ってくるはずもない。そもそもこれで手の上に乗ってくるようであれば苦労などしない。
為す術もないと思わずやってしまうのだなと思う。
それにしても、頬が異様に膨れている。
こいつ、何か食っていやがる。
一体何を入れているのだ?
押入の中には口に入れることができるような物は何もなかったはずなのに、変な物を食べていなければいいのだが。
いやいや、そんなことは後回しだ。今は捕まえることが先決だ。
どうしよう。
どうしようと思った、その瞬間、ハムスターは私の手の横を素通りしようとした。
すかさず、手を動かして、進路を邪魔し、捕まえる。捕獲成功。
手の中で暴れるが、グッと捕まえたままゲージの蓋を開け、ハムスターをゲージの中へ。
脱出経路も確認できた。まだ小さいからここから出ることは出来ないだろうと高を括っていたところから脱走したようだった。
ゲージの中のハムスターを確認すると、住処としている場所で口の中からなにやら白いものを吐き出していた。
よく見るとティッシュペーパーだった。
側にあったティッシュペーパーの函をみると、見事に囓りとられている。
住み慣れたゲージの世界から外に出たハムスター。
餌は何処にも無い。
体を温める為の木くずも無い。
夜行性のハムスターにとって、朝は夜である。
興味本位で外へと飛び出したら、外は荒野で、極寒。食べるものは何もないうえに夜が近づいてくる。しかも元の世界には戻ることが出来ない。
寒さの中、体を温めるためのティッシュペーパーを口に詰め込み、寝る場所を確保しようとしていたのだろうか。
ハムスターは私と妻が見ている中で、安堵の眠りに入っていった。
ハムスターは安らぎの世界へと向かっていったが、私はこれから仕事へと向かわなければいけない。
なんだかもの凄く納得がいかないのだが、今回の脱走を妻も少しは楽しんでいたようなので、まあいいか。
今日は平穏な一日になりそうな気がする。

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