月に一度、妻は通院する。
月に一度、私は妻に付き添って通院する。
私と妻がこの先四十年生きるとしたら、あと四百八十回、通院しなければならない。
その間に医学が発達して、病気を治す方法が見つかるかもしれない。そうすれば、通院回数は減る。しかし、それはあくまで仮定の話にすぎない。
四百八十回。
意外と少ない。そう考えるしかない。
四百八十回。
この回数は妻にとっては苦痛の回数だ。
病院にさえ行かなければ、病気と診断され、そして障害者として生きなければいけなくなることもなかった。
妻からみれば、この病院は苦しみの元凶にほかならない。
通院するたびに、入院させられるのではないかと妻は怯える。
そんなことはないよ、と言っても説得力も何もない。
何しろ、妻を入院させたのは私自身に他ならないからだ。
私の言葉など信用されるはずもない。
他に良い方法があったのではないだろうかと、時折考える。
あったのかも知れない。
しかし、私はあのとき入院させるという方法を選んだのだ。
あなたと一緒になったのは、人生最大の失敗だ。
具合が悪くなったとき、妻は私を責め立てる。
助けたい人に、責め続けられるのはとても辛い。
こんなに責め続けられて、それでもまだ、私は妻を助けたいのだろうか?
でも、私の心は変わらない。だから心が折れそうになる。
少しでも、少しでいいから、私の気持ちを理解して欲しい。
しかし、理解して欲しいなどと思う資格は私には無かったのだ。それに気付くのに長い時間がかかった。
責め続けられてもしかたがない。
私はあと四百八十回、妻に辛い思いをさせなければいけない。
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