今日は妻の面会。
病棟に入ると看護師さんに、今日は外出ですかと聞かれる。
いや、外出は今日ではなくって土曜日だ。
で、その後で持ってきた荷物の確認を受けるんだけど、基本的にチェックしなければいけないはずなのに看護師さんによってチェックしたりしなかったり。
面会時間も面会票には30分程度と書いてありながらも、入院時に渡された紙には1時間程度と書かれてあったりする。そのくせ実際には時間を超えても何も文句は言われない。
いい加減と言えばいい加減なのだが、それだけ信用されていると見るのかそれとも単純にいい加減なだけなのか。
まあ、あまり厳しくしても仕方がないといえばその通りでもあるが。
妻は今日はちょっと元気がなさそうだった。
が、話し始めるとそうでもない。
外出の許可が出たことで少し希望が見えてきたのだろうか。
土曜日は9時半に迎えにきて欲しいと言ってくる。やはり外に出たいのだ。
一方で、アパートに行くことに対しての不安もあるらしい。それはそうだろうなあと思う。しかし、今は薬が妻を助けてくれるだろう。
妻は病気と病気でないことの境目に対して疑問を持っているらしい。
声が聞こえるというだけで病気と決めつけられた事に対して、不満ではないが疑問を感じているようだ。
妻にしてみれば、独り言を言っていたり、ちょっと変わった考えを持っている人は世の中に沢山いるのに、何故その人達は入院させられず、自分だけ入院させられたのかよくわからないというのだ。
それは私も妻と同意見である。
病気である状態と病気ではない状態の境目というのは曖昧だ。
例えば、熱が出たとしよう。
ある人は市販の薬を飲む。
ある人は病院へ行く。
ある人は我慢する。
病院へ行かなければ病気かどうかはわからない。もちろん病院へ行ったとしても病気かどうかわからない場合もある。
我慢した人は病気ではないと思っている。
しかし、妻の場合は違う。
普通の人が飲んだら動けなくなってしまう量の薬、といってもたいした量ではないのだが、を飲んでも平気で活動していた。それ自体が異常なのだ。
その事を妻に話すと、そんなにきつい薬を飲ませたの、と文句を言ってきた。
薬に否定的な人は何故そのように考えてしまうのだろうか。
凶暴なライオンを捕まえるのに十人がかりで捕まえようとしたけれども逃げられてしまったと言ったとき、十人がかりだなんてライオンが可哀想と言うようなものなのだ。
普通ならば十人でも駄目だったのと言うのではなかろうか。
心理テストを行う時間になったので病室を出る。妻が発達障害かそれともそうではないか、これで何かがわかるだろう。
病棟を出るまでの間、男の看護師さんに妻の様態について聞かれる。
看護スタッフには話さず、家族には話している情報を知りたがっていた。
そこで私は妻がまだ被害妄想にとらわれている件について話す。
仕事熱心な看護師さんだ。
こういうしっかりとした看護師さんもいるということを、病院に偏見を持っている人たちにもっと知って貰いたいと思うのだ。
経過報告41
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