なんだか全てにおいてやる気がなくなってしまっている。
とはいっても朝飯は食べるし、洗濯もしている。
日常生活で機械的に作業できることはとりあえず出来ているのだが、それ以外において今日は気力が湧かない。妻の病状は入院前から比べれば良くなっている。妻の実家の方には手紙を送っておいた。少しずつ良くなっているように見える。
しかし、気力が湧かない。このまま死んでしまってもいいかと思ってしまう。
セルフチェックをする限りではうつ病にはなっていそうもない。たまにはこんな事もあるのだ。まあ、あまり深く考えないことだ。
妻はまだ精神科に対して偏見を持っている。自分がそこに入院してしまったことに憤りを感じている。
偏見を無くすのはとても難しい。その挫折感が今の自分の無気力さの原因でもある。
自分だって偏見を捨てきれていない。
妻と同じ病棟の他の患者さん達を奇異な目で見てしまう自分がいる。
無表情でうろうろと歩き回る人。
妻と私の会話している所を無表情にのぞき込む人。
無論、全ての人が無表情というわけではないし無表情なのは薬が効いているためなのもわかっている。
でも、頭では理解していても自分の中の感覚的なものが、ここは異質な世界なのだと感じてしまう。
いうなればコミュニケーションが成立しない世界なのだ。
言語が違うというわけではない。感情が固まってしまっているのだ。だから相手のことが理解できない。理解できない存在に対しての畏怖だ。
私が通っていた中学校では、毎月、心身障害児の施設にボランティア活動を行っていた。
学校の行事としてではなくあくまで自由参加の活動だ。だから引率の先生は一人いるものの、施設までの交通費やお昼などは全て自腹だった。
ある月、私は友達を誘って参加してみることにした。
しかし、当時の私にはボランティア精神などなく、単純に興味本位からくる参加だったのだ。
言い訳させて貰えば、中学生の自分に、重度の心身障害者というものがどんな状態のものなのかわかるはずもなかったので、興味本位というのも無理もないことでもあったと思う。
そこで私ははじめて、意志の疎通の出来ない情況というものを体験した。
歯ぎしりをしながら私を抱きしめる男性。
私の手を取って庭までいき、そして私をそこで置き去りにして勝手にブランコに乗って遊ぶ女性。
その時の参加者は十数人だったのだが、私だけがそのような情況になった。
施設の人は、君がやさしい雰囲気を持っているから彼らもわかったんだよ、といってくれたのだが、私はショック状態に等しかったので何も言えなかった。
帰りのバスの中で、一緒に行った友達がこう言った。
「みんな凄いなあ、俺は弟が障害者だから参加したけれども、みんなはそうじゃないのに偉いなあ」
彼の弟が障害者であることは遊びに行ったこともあるので知っていた。
そうだったのかと思ったと同時に、私は穴があったら入りたかった。
あの時ほど自分が恥ずかしいことは無かった。
私はそんな気持ちで参加したのではないのだ。興味本位でしかなかったのだ。
ただただ、私は帰りのバスの中で自分を恥じていた。
それ以降、私はボランティア活動には参加しなくなった。
自分の心の中のやましい気持ちが無くなるまでは参加などしないでおこうと思った。
私は未だに不完全な人間なのだ。
妻がそういう風になっても、妻以外の人間に対しては奇異の目で見てしまう自分がいる。
経過報告38
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