経過報告23

9/27

6時50分ごろ目が覚める。いつもどおりの時間だ。
今日はもう少し寝てもいいかと思い、目覚ましを一時間ずらしてまた眠る。
最近、いろいろとやらなければいけないことが多すぎるのか、はたまた年を取ったせいなのか、物忘れが激しい。
今日は妻の実家へ病院の先生との面談の日が決まったことを連絡しないといけないなと思いながら、そのことを忘れないように日付と時間をメモにとりながら、一日日付を勘違いしていたことに気づく。
昨日の夜、昨日が賞味期限だと思い込んで冷凍にしておいた食パンをとりだし、オーブンで焼く。
朝飯後、今日は洗濯はやらなくてもいいかと思いながらも、布団は干しておこうと思い布団を干す。
ハンガーや時計、昨日妻に言われたものを紙袋にいれ、何か飲み物を買っていってやろうと、心に書きとめ、実家へと向かう。
予定通りの時間で実家へつく。父の車を先導する形で病院へと向かう。
病室の前にたどり着くと、妻が病室の扉を開けてくれた。
「何か話があるんだって?」という父の言葉に、妻は戸惑い、そして特に話があるというわけではとつぶやく。
父の嫌いなパターンだったので、すかさずフォローを入れ、父を納得させる。まったくもってその場の空気を読めよ、と、心の中で父を責める。
妻にも責めたいところではあったが、薬が効いている状態でしかも、日々、様態は変化しているのだ。昨日と今日とで言っている内容に変化があっても仕方がない。それを責めるのは間違いだ。
それでも父はそれなりに空気を読んだようで、まあその場の雰囲気に我慢ができなかったというのが大きいだろうが、外にいるから用があったら呼んでくれればいいと、病室を出る。
昨日より少し落ち着いているような感じなのだが、父が来たせいだろう。持ってきた時計を渡すと、「デジタルなの?アナログの方がよかったのに」ときつい一発。
どうしてこうもやることなすこと、妻の希望していることを行うことができないのだろうか、私は。
「デジタルの方が静かだと思ったから」というと、「そこまで気遣ったの」と妻がいう。無論反省したそぶりはなく、あきれ果てた感じだった。
物干しを取り出すと、「やっぱり男ね」という。これでは小さすぎたのだろう。
「気が利かなくって悪かったね」というと「そんなあなたを私はフォローしてきたのよ」と恩着せがましく言ってくる。
先に父を帰し、妻の横で寝そべる。
父がいなくなったことで安心したせいか、妻の私に対する非難の声が私を連打する。
「退院してもあなたのことは信じられない。あなたは私のことを病気だと思っている。退院しても監視をし続ける。それで何かあったら、また私をここに閉じ込めるでしょう」
決して口には出さないが、退院して妻がまだ、私のそばにいてくれたら、私は監視まではいかなくとも、日々の様子を観察し、再発しないように努めるだろう。そして、もし再発してしまったら……
そのとき私は妻を救ってあげることができるのだろうか。
「この会話は病院側に筒抜けよ、昨日あなたが帰ったあとで、看護師さんに、毎日来てくれているのに旦那さんにひどいことを言ってしまったわねえと言われたわ」
こういう病院は患者の会話を調べているのだろうか。まあ、聞かれて困るような話はしていないし、聞かれたって平気だ。
「明日は来れないかもしれない」と妻に言うと、「やっぱりね、だんだんそうなっていく。私をこんなところに閉じ込めて清々したんでしょ」
まったく持って被害者意識が強い妻だ。
「何をいっても怒るから黙っているよ。だから何でも言っていいよ」
妻の話によれば、声は聞こえなくなっているらしい。しかし、被害者意識は残っているみたいだったし、今のアパートにはいたくないようだ。
「頭が考えないようになっている。昨日の夜は徘徊しそうになったわ、あなたわかってる?徘徊するってことがどういうことなのか」
「それは薬が効いているせいだよ、だから自分がそうなっているんじゃないよ」と答えるのだが妻は聞き入れようとはしない。
「あなたがここに入れたのだから退院するまでは責任持ってよ、死なないでよ、死んじゃったら私ここから出られないじゃない」
「僕が死んだら保護者が君のお母さんにかわるから大丈夫だよ」
たぶんそのようになるだろう。
妄想は消えても、それ以外の妻の性格は治りそうもないのかもしれない。
入院させてしまったのは失敗だったのかもしれない。精神科に入院、しかも始めての入院がここなのだ。精神科に偏見を持っている妻にとっては屈辱的に違いない。
病気は治っても、深い痛手を負わせてしまったのではなかろうかと自問する。義母と相談し、妻の実家に帰らせて、実家の近くの病院に通院させるた方がよかったのではないだろうか。
ノーガードでひたすら妻の攻撃を受け続ける。
つらいのは確かだが、それでもこうして妻のそばに居続けたい。時折、険しい妻の声が優しくなる。そうなのだ、私はこの妻の普段の優しい声を聞いていたいのだ。
しかし、食事の時間が近づき、病室を出る。
「わざわざ時間をとっていただきありがとうございました、あなたはいいわね、これから自由な時間で」
最後までいやみを言う。甘んじて受け止める。
帰りに看護師さんに、面会中の会話は聞かれているのですかと質問すると、そんなことはないと答えてくれる。それはそうだ、どこで会話してもかまわないし、そんな立派な盗聴設備など用意はしないだろう。
「たまたま通りかかった看護師が聞いてしまったかもしれないですね」と看護師さんは答える。
妻の妄想だったとしたら、私にきついことを言ってしまったことに対する裏返しの心理とも思える。看護師さんの回答が本当で、たまたま通りかかった看護師さんが聞いて、後で妻にそういったとしたら、少なくともこの世に一人は私のことを気遣ってくれる人がいるということだ。
都合のよすぎる解釈だが、少しはそうやって、張り裂けそうな自分を慰めたくなる。
誰かに助けてもらいたくなる。
男ではちょっと難しい妻の依頼を母に頼むために電話するが、ちょっと頼みがあると言ったとたん、声のトーンが変わる。
店の人に聞いてみるか、弟のかみさんに頼んでみたら。頼むほうは私から電話するからなどと自分ではやろうとしない。
何か手伝ってほしいことがあったらいつでも言ってきてなどといっていたくせに、これだ。
あんたの本心はわかっていたけど、これかい。と心の中でそう思う。利用するだけ利用してやる。
心が荒んでいるのも理解している。
本来ならば自分がやればいいことなのだ。
それ以上はあまり考えないようにする。
途中で退院させ、妻の実家へと帰らせて、後のことは妻の実家に任せてしまうのが、本当は一番いいのかもしれないと考え始める。
入院させたはいいけれども、途中で退院させてしまう家族はわりといる。今の私とおなじような心境だったのだろうか。
病室の妻の使っているテーブルの上に、ティッシュで折った鶴が置かれていた。妻が折ったのだろう。
千羽鶴を折ってやりたいが、私一人では千羽はさすがに折りきれない。洗濯やらなにやらと家事もしなければいけないなかで何匹折ることができるだろうか。とりあえず六百枚の折り紙を買ってきて少し鶴を折る。
妻の洗濯物にアイロンがけをする。アイロンがけなんて二十数年ぶりだ。
一通りアイロンがけをし終わって自分の洗濯物にもアイロンをかける。妻は何を思いながら今まで私の服にアイロンをかけてけていたのだろうか。
日付がわからないとカレンダーをほしがっていたので、今月と来月分しか必要ないのだからとネットを探し、イラスト付のカレンダーを名刺サイズの紙に印刷する。あまった紙を折り曲げて台を作ると結構いい感じになった。
昼飯抜きだったのでさすがに腹がすいてきた。今日は自炊をしようと思っていたが結局できそうもない。出来合いのものをスーパーで買ってきて食べる。
十二時付近になってようやく百羽折り終わる。十分の一だけど、とりあえずはこれで勘弁して欲しい。
妻はこれを見てなんと言うだろうか。たぶん私の想像の斜め上を行く反応を示すだろうなあと思う。

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