経過報告22

9/27

おなかの具合はなんとかいい。
おととい買った食パンの賞味期限が今日だったが、一枚も食べていない。今朝も食欲はあまりなく、コーヒーだけで朝食を済ます。コーヒーだけが朝食といえるのであればの話だが。
昨日の夜、洗っておいた洗濯物を干し、妻から頼まれたものをバッグに詰めているといつの間にか八時四十分で、痔の病院へと出かけなければいけない時間だ。遅くなれば遅くなるほど診察が遅れ、妻の面会時間が遅くなる。たとえ信用のなくなった私であっても誰かしらそばにいて欲しいに違いない。
痔の病院へ着くと、病院は患者さんで一杯だった。一時間くらい後になりますと言われるが、一時間程度の遅れは問題ない。
とのんびり構えていたが、実際に診察を受けることが出来たのはそれから二時間後だった。
あらかじめ先生に話す内容を頭の中でシミュレーションしておいたので、その内容を淡々と先生に話し、塗り薬を多めにもらう処方を書いてもらってすかさず駐車場へ。薬は面会の後でいいやとそのまま妻の病院へと車を飛ばす。
昼ちょっと過ぎに病院へと到着し、面会カードを書いて病室へと向かう。閉鎖病棟なので扉の前で壁際のインターフォンに向かって面会に来たことを看護師に伝える。扉を開けてくれた看護師に、妻に渡す荷物の説明と内容物の許可をもらって、妻のいる病室へと向かう。どんな顔をして会えばいいのだろうか。
カーテンをゆっくり開けると妻は昨日と同じくベッドに腰掛けていた。洗濯物があちらこちらに干してある。ここの乾燥機があまり利かないらしい。
妻の顔からは笑顔は消えていた。
ハンガーをもう少し持ってこようかと言うと、「見れば判るでしょ」と非情な言葉が返ってくる。
「私も女の子だし、髪がボサボサなの」
気が付かない奴でごめんなさい、心の中で謝る。メモにブラシと書く。
「そのうち私、涎を垂らしながら徘徊するようになるわ」
「薬を飲む時間の後、徘徊している人がいるの」
「私がこれ以上おかしくならないうちに、実家の母と、あなたのお父さんに会って話しておきたいことがあるの」
「今日中に連絡して話しておくよ」と私は答える。
ふとベッドの反対側をみると、観光ガイドブックが見えた。
「自由に外へ出ることが出来る人はいいわね」
妻はひたすら不満と愚痴を私にたたき込んでくる。
「外に出ることが出来たからってそれほど自由じゃないよ」などとうっかりしゃべってしまうものならば、
「あなたと話していると腹が立ってくる」
「脳が一定以上働かないのよ、手はしびれているし、微熱はあるし」
脳が働かなくなるのは薬が利いている証拠ではないかと思うが沈黙を守る。
「あなたにはわからないでしょ」
「いや判るよ。僕も精神安定剤を飲んでいるから」
「あなたも頭がおかしくなっているの?」
「いやそういう事じゃない」
「だったら何なの。イライラしてくる。熱だってあるのに。看護師さんには言わないでよ」
「腹が立つ相手とは居たくないだろうから、今日は帰るよ」といって立とうとすると、「まだいてよ」と引き留める。
私にとってはあまりにも難しすぎる心理だ。
「あなたにはもうついていくことは出来ない。退院する事が出来たなら実家に帰るわ」
「あなたと結婚してもの凄く失敗した。あなたについてきた結果がこれじゃ、別の人と結婚すれば良かった。こうなったのはあなたのせいよ」
確かに私のせいだった。入院させたのはともかく、ここまで病気をひどくさせてしまったのは私のせいなのだ。
統合失調症の本では、家族の人は、病気にさせたのは自分たちのせいだと思ってはいけないと書いてあるが、100%とはいかなくっても夫婦なのだから半分は私のせいなのだ。だからこうして入院させて治療をさせているのだ。
私は、妻の非難をただただうなずいて受け止めるしかできなかった。
「私が薬に拒否反応してしまうの知っているでしょ。薬を飲もうとすると吐き気がするの」
ひょっとしたら入院させてしまったのはまだ早かったのかもしれない、と思ってしまった。
おそらくもっと説得をしなければいけなかったのだろう。しかし、あのままいっても妻は精神科の病院へ行こうとはしなかっただろうし、どんなに説得しようとも聞こうとはしない。検査の結果、精神科しか後はないという状況になっても妻は、診察は受けても薬は飲まなかっただろう。
しかし、薬にそこまで心理的に拒否反応をしてしまうとなると、陽性症状は薬で抑えるしかない統合失調症は妻にとって不治の病なのかもしれない。
堂々巡りになってしまうのは判っている。堂々巡りになってしまうと、入院などさせずに、妻と一緒に妻の語る世界を信じ、そして静かな場所へ引っ越しをし、それで病が少しは良くなればいいが、多分それは無理で、お互いに傷つけあって、それでもたまに仲良く手を取り合い、今までよりは辛い生活になるかもしれないが、所詮三十年程度の残りの人生である、元気でいられる期間はそれよりも短い、だからその期間を病など無視して二人で生きる選択肢もあったと思ってしまう。
多分、自分の人生を残り五年程度に凝縮させ、それ以上先の人生をあきらめてしまえば可能かもしれない。でも妻の人生は妻の人生である。妻はもっと長生きをしたいだろう。
「通院していた方がよかった」と妻が言う。
「通院してたって薬は飲まなかっただろう」とうっかり反論してしまう。
「もうあなたとは話したくない、どういったら話が通じるの、こんなに論理的に話しているのに」
妻からすれば論理的なのかもしれないが、私にとっては理解してあげることがおそろしく困難なのだ。
こんな調子では妻の信頼を取り戻すことなど不可能じゃないだろうか。
世の中にはこんな状態でも相手の信頼を勝ち取ることが出来る人がいるだろうけれども、私には難しすぎる。
もはや、妻の病気が治ることさえ出来ればあとはハッピーエンドではなくってもいいやという心境になってきた。
でもそれだと最後まで私の心は持ちやしない。最後まで希望を持ち続けなければ、途中で妻を見放してしまうだろう。私はそこまで心が強くない。
帰ろうとすると、もう少しいてよ、と妻は引き留めようとする。そんな妻の言葉に少しだけ希望を託しながら、しばらくの間、妻の非難の声を聞き続けた。
ナースステーションで主治医の先生に。妻の弟と一緒に面談をしたいという旨を伝え、面談のスケジュール調整をしていると妻が近づいてきた。見送りに来てくれたのかと一瞬思ったが、体操の時間だった。
帰りに実家へより、父に、妻が会いたがっているので明日一緒に見舞いに言って欲しいとお願いする。
父は母以上に空気を読まない人なので、読めないではなく読まないというところがやっかいだが、妻が何を言っても黙って聞いてやってほしいとお願いする。翌日午前中に寄るので別々の車で行こうと言って実家を出る。
一台の車で行ってもいいのだが、二人で見舞いに来て二人がいっぺんに帰っていなくなってしまう寂しさは私も想像がつく。だから父は早く帰らせても私はしばらく妻の側にいよう。それに帰り道での父の愚痴や不満を聞きたくはない。
「時計がないから時間がわからない」と妻が言っていた。
アパートのどこかを探せば小さな時計があったはずだが、確か音がうるさいといって使っていなかった奴だ。
それを探すのは止めて100円ショップでデジタル時計を買う。
日が徐々に傾いている。
夕暮れはとても寂しくなる。
あと何回、こんな体験をしなければいけないのだろう。しかし、妻はもっと寂しく、心細く、不安で一杯に違いない。それに比べれば私の寂しさなんて、と思うのだが、それでもやはり寂しい。寂しくて仕方がない。
「あなたってほんとに心が弱いのね。だから頼りに出来ないのよ」
昼に言われた妻の言葉が頭によぎる。
ああ、たしかに弱い。
でも弱いながらもがんばっているつもりだ。だから努力賞ぐらいくれてもいいじゃないか。
頭の中で妻にそう言った。
ののしられようが、非難されようが、妻の側にいたい。
まだ私には妻の為にやらなければいけないことが残っているのだ。

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